GANKOの日記
2004年 1月    
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1月31日(土) 旧暦:一月十日 仏滅 己酉 晴れ
久しぶりにタイちゃんから電話。昼過ぎに神田の〈藪蕎麦〉で会い、三時頃まであれこれと話す。今年の海苔の出来高はいまひとつとのこと。駿河台から聖橋の回って、明神様にお参りして帰る。夜、鎌倉の節子叔母に長電話。

1月30日(金) 旧暦:一月九日 先負 戊申 晴れのち曇り、夜湿り雨
午前中、散歩がてら東京駅まで歩き。十一日の京都行きの切符手配を済ます。昼食〈たいめいけん〉のオムライス。午後は、のんびりと過ごす。

1月29日(木) 旧暦:一月八日 友引 丁未 晴れ
朝、〈有次〉社長の寺久保進一朗さんより、取材承諾のファックスが届く。二月十一日、九時より本社でお話できることになりました。ご紹介してくださった陶芸家の小松先生に、〈なかひがし〉さんのことと合わせてお礼の電話。ご本人、犬の散歩で不在とのことで、奥様に言付ける。
夕方、散歩の途中、八重洲ブックセンターにて『草を食む 京都「なかひがし」の四季』(プレジデント社)を見つけ購入。写真が素晴らしい。あとがきに、ご主人の中東久雄さんが、毎日野菜を買い入れるお百姓さんのことを書いています。

「・・・・・皆さん仲の良い夫婦です。朝早くから、田畑で二人三脚でお仕事を楽しんでされておられる姿が、とても美しくて、それぞれ野菜作りの博士号をもっておられるような、そんな方々に育てられた野菜たちは、幸せ者です。元気一杯個性を出して育ちました。それを私たちが、曲がっているだの、虫が食べているだの、大きい、小さいと餞別する必要があるのでしょうか。
 人間が、使い方や調理方法を考えればよいことではないかと思います。・・・・・」

飽食の国を次々と食のトラブルが襲う。大地に生きているものたちを大切にしてこなかった報いではないでしょうか。わたくしたちの国は、これほど豊かな自然に恵まれながら、食糧自給率はわずか四割に過ぎません。

1月28日(水) 旧暦:一月七日 先勝 丙午 晴れ
京都関係の動きはなし。イッテツと隅田川を渡り、向島まで足をのばす。
夜、エリザベス安藤さんの対談をようやく仕上げる。

1月27日(火) 旧暦:一月六日 赤口 乙巳 晴れ
朝、イッテツと近所を散歩。水仙の季節が終わり、梅がほころび始めている。
十時ごろ、京都の〈なかひがし〉さんに電話。「ご主人はいらっしゃいますか」とお尋ねすると、「まだ山から戻ってきておりません」と若い女性の方から丁寧なご返答。ご主人の中東久雄さんは、毎朝、お店でつかう山野草を摘みに山に出かけているのだそうです。比較的手が空いているという午後三時ごろにもう一度お電話をすると、ご本人が電話におでになられて、取材の件をお話すると、快く引き受けてくださいました。来月十二日一時半ごろに、銀閣寺道にあるお店にお伺いすることになりました。高木先生によると「〈なかひがし〉さんは、とっても予約がとりにくいお店なのよ」ということですが、電話の向こうのご主人は、柔らかな物腰で、こちらが恐縮してしまうほどでした。お会いできるのが楽しみです。
〈有次〉さんの方にも、店主の寺久保さん宛てに取材依頼書をファクシミリでお送りしました。それから、撮影をお願いするカメラマンの尾田さんに連絡などしていたら、あっという間に日暮れどき。
「なんだかお忙しそうですね。まあ、あまり肩肘張らずに行かれたらよろしいのでは。京都は京都、元子さんは元子さん」と、鰆を焼きながらキタイ。

1月26日(月) 旧暦:一月五日 大安 甲辰 晴れ
高木泉先生より電話。これが今日(京?)一日の始まりでした。「小松先生から連絡があって、〈有次〉さんと〈なかひがし〉さんに取材ができるそうなので、よろしくお願いね」「えっ!対談のお相手は、小松先生ではなかったのですか?」「先生はご都合がつかなくなってしまい、代わりにお知り合いのお二人に声を掛けてくださったそうよ。よかったわね」と、なにがなんだかわからないまま、ひとまず丹波の小松先生にお電話。お礼を述べて、今後の段取りについて話しました。
以前にも書きましたが、美しい味というテーマを掲げてスタートを切った以上、京都は避けて通ることはできない土地。とはいっても、こちらはまだ江戸四百年の勉強を粛々と始めたばかり。奥深き京世界に踏み込むには、まだまだ時期早々であると考えていました。しかも、お相手が一五六〇年創業の包丁鍛冶〈有次〉さんの十八代店主と、いま最も注目を集める料理店のひとつである〈なかひがし〉さんのご主人とあらば、ちょいとばかし緊張せざるをえません。きちんとしたお話ができるのかしら・・・という不安もありますが、ここは高木、小松両先生が取り持ってくださったご縁、思い切って京の懐へ飛び込んでみることにします。さて、この結末やいかに。
夜、エリザベス安藤さんの対談を少しまとめる。

1月25日(日) 旧暦:一月四日 仏滅 癸卯 晴れ
日本海側では雪が降り続いているようですが、東京は比較的穏やかな天気。木々の梢に、ほんの少し春の気配のようなものを感じる。散歩の途中で入った古書店で、『上方の味』(大久保恒次著 婦人画報社)を買う。発行は昭和三十七年、本を開くと当時の書評を切り抜いた新聞記事がはらりと落ちる。こういう出会いがなんとも面白い。
小津安二郎監督の初期の作品で子役として活躍された、突貫小僧こと青木富夫氏、死去。享年八十歳。

1月24日(土) 旧暦:一月三日 先負 壬寅 晴れ
昨年の十月にお会いしたエリザベス安藤さんとの対談をまとめ始める。世田谷区用賀で在日外国人向けの料理教室〈文化の味〉を主宰されているエリザベスさん、今回、取材テープを改めて聴き直して、はっとさせられるところが何回もありました。

Ganko 日本の良さってどういうところにあると思いますか。
エリザベス (しばらくの沈黙のあと)努力です。真面目に努力さえすれば、有難いこととして認めてくれた。だから長く日本にいられたんではないかなと思う。

1月23日(金) 旧暦:一月二日 友引 辛丑 晴れ
北風が寒々と吹き抜け、日本中の襟を立てさせた一日。
会員の皆様宛てに、神田〈いせ源〉さんでの体験道のご案内がてら、「皆様にとっての美しい味を教えてください」というお願いをお送りしたところ、東京町田市にお住まいの方から返信をいただきました。思いのこもったとてもすてきな文章なので、ご紹介させていただきます。

「私にとって家庭の味というのは、私が15の時病死した母がお雛祭りに一度だけ作ってくれた〈りんごきんとん〉です。それはなんのことはない、茹でてつぶしたサツマイモに、刻んだリンゴを入れただけのもの。でも、父母は私が幼い頃から浅草で流行らない旅館をやっていて、年中貧乏暇なしだった母が私と妹のために、工夫してお祝いしてくれた忘れられない味です。誰のために作ることもなく、私は自分だけの心の中にずっとこの〈りんごきんとん〉をしまっています」

さつまいもの黄と、りんごの鮮赤。心の中でお母様の思い出とともにずっと生きつづけている〈りんごきんとん〉が、目に見えるようではありませんか。

1月21日(水) 旧暦:十二月三十日 大安 己亥 晴れ
本日、大寒(だいかん)。暦どおり、寒気凛烈。完全防備で散歩に出かける。そういえば、イッテツが段ボール箱に入れられて言問橋の袂に流れ着いていたのは、確か去年の今ごろではなかったでしょうか。

大寒の波かぶりゐる小舟かな 吐牛

1月20日(火) 旧暦:十二月廿九日 仏滅 戊戌 晴れ
高木泉先生より、電話。「来月十一日に、小松華功さんがかまくらをつくるそうなので、一緒に行きませんか?」とのお誘い。小松さんというのは京都丹波在住の陶芸家で、毎年二月ご自宅(蕗窯)に、雪でかまくらをつくり、いろんな方々をお招きするのだそうです。「それでは、今度の対談相手は小松さんにお願いしましょうか」ということになり、ご一緒させていただくことにしました。丹波はずいぶんと山深きところのようですが、冬の京都はとても楽しみです。
室井滋さんの事務所より、「しばらくはドラマ等のスケジュールが一杯で、対談は見合わせたい」との返事。こちらは残念な結果となってしまいました。
浅草の〈花やしき〉が経営破たん。いまは時折散歩の途中でそばを通るだけですが、幼い頃、祖父に連れられて遊びに行ったことを思い出します。営業は続けられるそうでほっとしました。
夜、また少し寒くなる。水菜と豚肉の鍋。

1月19日(月) 旧暦:十二月廿八日 先負 丁酉 雨のち晴れ
当倶楽部の『俳句庵』が、グーグルの検索「俳句」で一等先にくるようになりました。投句も増えており、先回の季題「白酒」ではブラジルの日系人の方や、鹿児島の中学生からも寄せられています。
昨日の日記に書きましたが、室井滋さんの著書が面白く、早速事務所に対談依頼。担当者の方が生憎不在だったため、まずは企画書をお送りすることになりました。実現するとよいのですが。そうそう、対談といえば、新潮社にお願いしている向田和子さんとのお話はどうなってしまったことやら・・・
夕刻、清澄の辺りを歩く。夜、冷え込む。

1月18日(日) 旧暦:十二月廿七日 友引 丙申 曇りのち、晴れ
雪は思ったほどに降らず、積もらず。気温も上がり、イッテツと隅田川沿いを散歩。書店で、室井滋さんの『うまうまノート』を買う。室井さんの人柄と食いしん坊ぶりが、飾り気の無い文章で綴られたエッセイ集で、お会いしたくなりました。

1月17日(土) 旧暦:十二月廿六日 先勝 乙未 雪
雪がちらつく中、叔母と連れ立って、渋谷松涛の観世能楽堂にお能を観に行く。観世流シテ方の松木千俊さんが主宰される会で、演目は『菊慈童』と『藤戸』。大鼓に亀井忠雄氏、ワキ方に宝生閑氏を迎えた『藤戸』は、お二人の気迫がシテ方に乗り移ったような見ごたえのあるものでした。品川駅まで、叔母を送る。雪、横殴りになる。

1月16日(金) 旧暦:十二月廿五日 赤口 甲午 曇り
読売新聞、朝刊の生活面に高木泉先生が登場。冬の味覚、鱈を素材に〈タラとフキノトウのおかゆ〉〈タラと水菜のサラダ〉を紹介されていました。
午後、倶楽部の定例ミーティング。「バンダナを不当に手に入れようと、名前を微妙に変えて何度も会員登録をしている方がおられます」との報告があり、事実を確認後、残念ながら除名とさせていただきました。
夕刻、鎌倉より節子叔母来る。キタイと三人で寄せ鍋を囲む。

1月15日(木) 旧暦:十二月廿四日 大安 癸巳 曇り
新潟より、「こちらは三日ほど前から大変な雪ですが、その中から掘り出したものです」という手紙が添えられて大根が届く。早速、キタイがほんのり薄い味付けで、風呂吹き大根にする。箸ですうっと切って、口へ運ぶと、甘い冬の味がする。滋味とはこういう味のことをいうのでしょうか。
檀一雄『わが百味真髄』(中公文庫)を読み始める。

1月14日(水) 旧暦:十二月廿三日 仏滅 壬辰 曇り
エミちゃんより便りあり。「パリでは、年明けて七日より恒例のソルド!ソルド!一色でもうみんな大変。シャンゼリゼでは数件が七日の午前零時一分に開店したところもあり、お祭り騒ぎです」はるばる日本から来ている人たちもがんばって並んでいるようで、ちょいと懐かしくなりました。エミちゃんは、お母様の術後の様子をみに二十四日着の便で帰国するとのことです。
寒さ、ほんの少し和らぐ。夕方、銀座で『ミスティックリバー』を鑑賞。映画の舞台となるボストンを流れる川が、寒々と心に残る佳作でした。

1月13日(火) 旧暦:十二月廿二日 先負 辛卯 朝のうち雨、のち曇り、時々晴れ
日本列島に、今冬一番の寒波襲来。こんな寒い日には「お鍋!」といきたいところですが、体験道第二弾、神田〈いせ源〉さんで教わる『あんこう鍋の奥味(おくみ)』への参加受付をいよいよ開始しました。
夜、高木泉先生より電話。先日、取材を受けた読売新聞社の記事は、十六日(金)の家庭欄に掲載されるとのこと。「がんこさんのことも、しっかり宣伝しときましたからね」
米国産牛肉のBSEに次いで、山口県の養鶏場でトリインフルエンザ。三万四千羽もの鶏が土に埋められたそうです。今年は、食肉受難の年になりそうです。

1月12日(月) 旧暦:十二月廿一日 友引 丁酉 曇りのち雨
夕より、久方ぶりの雨。空気が湿り気を帯びる。
今日は、成人の日とかいう不思議な祝日。二十歳になることを国家で祝わなくてはならないところに、日本の文化の未成熟度がよくあらわれているように思えます。

1月11日(日) 旧暦:十二月廿日 先勝 己丑 晴れ
鏡開き。正月のオカガミ(お供え餅)を実にした、お雑煮を食べる。キタイの味付けは関西風で、柚子の香り、匂い立つ。獅子文六さんの『食味歳時記』は昭和四十三年に書かれた本ですが、氏はその中で、「日本の都会人は、だんだん餅が嫌いになってくるのではないか」と書いています。それからおよそ四十年、佃島辺りの高層マンションに住む、いまの東京の人たちなどはどうなのでしょうか。

1月10日(土) 旧暦:十二月十九日 赤口 戊子 晴れ
中央通りを歩いて、丸善に。いつの間にか正月飾りなども取り外されて、いつも通りに。お昼は、三越前にできた島根館の中にある、松江の郷土料理の店〈てれすこ〉。宍道湖で捕れる鱸や白魚などのお刺身をあしらった松花堂弁当は、お値段のわりにはなかなかの味ですが、お味噌汁の味付けがちょいとばかし薄いところが・・・惜しい。

1月9日(金) 旧暦:十二月十八日 大安 丁亥 晴れ
寒さ、少し弛む。
高木泉先生の「季題でつくる美しい味」、今月の季題は海苔です。タイちゃんがとっても喜んでいました。旧暦のカレンダーが売れているようです。わたくしは、松村賢治さんという方が理事長をされている大阪南太平洋協会が発行するものを使っていますが、シンプルなところが気に入っています。

1月8日(木) 旧暦:十二月十七日 仏滅 丙戌 晴れ
北風、びゅうびゅう。寒い寒い一日でした。
午前、神田〈いせ源〉を訪ねる。お店は仕込みの最中、割下の良い匂いが早くも店内の漂い、ちょうど鮟鱇の吊るし切りを行なっているところでした。「まだ暖房も入っていなくて・・・」と、ご主人の立川修一郎さん、おもむろに卓の上のガスコンロに火を点けてくださったのには、ちょいとびっくり。打ち合わせの間中、コンロはぼうぼうと燃えているのでした。次回の体験道『あんこう鍋の奥味(おくみ)』は、二月十四日の午後五時半から開催決定。「今年のあんこうは、大ぶりで、肝も大きいですよ。その頃には、鹿島灘産のいいのが入っているでしょう」
本日、昭文社から出版されている『週刊日本の名湯』(No.14伊豆の温泉)が発売。高木泉さんのエッセイ「遥かなる祖母達の伊豆」を読む。泉先生と伊豆との関係を初めて知りました。忘年会でお世話になった〈也万波(やまんば)〉と店主の遠藤温子さんも紹介されています。おいしかった料理をまた思い出しました。

1月7日(水) 旧暦:十二月十六日 先負 乙酉 晴れ
朝、七草粥を食べる。
十時過ぎ、高木泉先生に電話。今月の料理「海苔」の文章とレシピを確認。高木先生も、本日読売新聞の取材で、粥をこしらえるとのことで、外に春草を摘みにいかれるところでした。午後、植木職人の今井老人が年始の挨拶に。大分の親戚からいただいたという櫨(はぜ)の甘露煮を届けてくださり、早速夕餉の食卓に上がる。夜、ぐんと冷え込む。

1月6日(火) 旧暦:十二月十五日 友引 甲申 晴れ
今日は、小寒。寒に入りましたが、今年は過ごしやすい日が多く、三が日も戦後三番目かの暖かさだったとか。午後、所用で門前仲町へ。深川不動尊から富岡八幡宮に続く参道は、まだ人通りも多く、浅草や谷中とはまたちょっと違った、川向こうらしいお正月の雰囲気が漂っていました。お堂内ではちょうど護摩を焚いているところで、わたくしも自然と手を合わせていました。お参りをすませ、〈梅花亭〉のどら焼きを買って帰る。
パリのエミちゃんより便りあり。年末年始は山荘のあるアルザスで過ごしたものの風邪で散々だったそうです。

1月5日(月) 旧暦:十二月十四日 先勝 癸未 晴れ
久し振りに肌寒い一日。日本をめぐる二つのニュースを目にしました。いずれも地方自治体からです。ひとつは長野県の田中知事が年初挨拶で「県名を、長野から旧藩名の信州に戻したい」という意思表明をしたこと。もうひとつは金沢市が住居表示法のために消えてしまった旧町名を復活させるために、全国初の推進条例を制定すること。金沢市のことについては、以前神田藪蕎麦の堀田康一さんが同じようなことを神田界隈でやりたいというようなことをおっしゃっているのを思い出しました。
今日、新しい年の仕事始め。わたしたちの国の壊れてしまったものが、ゆっくり古きへと進化していこうとしている。そんな気がします。

1月4日(日) 旧暦:十二月十三日 赤口 壬午 晴れ
三越本店の前を通るとなにやら人だかりがしていたので尋ねてみると、お正月恒例の日本橋七福神巡りとのこと。面白そうなのでイッテツと一緒に参加しました。小網神社、茶の木神社、水天宮、松島神社、末廣神社、笠間稲荷神社、椙森神社、寶田恵比壽神社を巡って小一時間。元気なおじいちゃん、おばあちゃんたちに混じって歩き、最後に三越の屋上で縁起物の絵馬手拭をいただくというものです。日本初の百貨店として誕生した三越も今年で百周年、十月には新館もオープンするとのことですがなかなか粋な催しをするものです。

1月3日(土) 旧暦:十二月十二日 大安 辛巳 晴れ
午後、銀座に出て『ラストサムライ』を観る。穏やかで暖かな三が日でした。

1月2日(金) 旧暦:十二月十一日 仏滅 庚辰 晴れ
タイちゃんに新年のご挨拶。山本海苔店は今日二日が新春初売りです。尾村幸三郎さんが書かれた『日本橋魚河岸物語』によれば、かつてこの界隈が魚河岸だった頃の初売りは夜が明ける前から始まり、日本橋から江戸橋までずらりと並んだ魚問屋の軒先は弓張提灯で埋め尽くされ、ろうそくの光で煌々と輝いていたのだとか。その面影はもうどこにもありませんが、山本海苔店の店内には見事な白梅の植木が置かれ、女性たちも晴れ着姿でかわいらしく、ふんわりと江戸の名残が香っていました。

1月1日(木) 旧暦:十二月十日 先負 己卯 晴れ
朝、お雑煮(すまし汁に醤油で味付け。具は鶏肉、大根、人参、三つ葉、椎茸に焼いた角餅)とお屠蘇をすませて、神田明神へ初詣。午後は年賀状を見たりしながらゆったりと過ごす。天気予報によればお天気は崩れるとのことでしたが、気持ちの良い元旦になりました。