GANKOの日記
2005年 4月    
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4月30日(土) 旧暦:三月廿二日 赤口 甲申 晴れ
本日も晴天也。午後より、ぶらぶらと神田古書店巡り。『江戸から東京へ(一)〜(八)』(中公文庫 矢田挿雲著)、『秀吉と利休』(中央公論社 野上弥生子著)を購入。帰り、〈山の上ホテル〉の喫茶室で寛ぐ。

4月29日(金) 旧暦:三月廿一日 大安 癸未 晴れ
大型連休初日、晴天。イッテツと川向こうの方まで散歩。ところどころに鯉のぼり。夜、鎌倉の節子叔母より電話。美山荘のことなど話す。連休の後半、遊びに行くことにする。

4月28日(木) 旧暦:三月廿日 仏滅 壬午 晴れ
朝から気温がぐんぐんと上昇。汗ばむような陽気でした。真夏日を記録したところもあるとか。午後、中央通りを銀座方面へ散歩。〈丸善〉にて、村上春樹さんの『象の消滅』(新潮社)、『サライ』『なごみ』の最新号などを買う。
有田の会員の方から、陶器市のお知らせ。明日からゴールデンウィークなのですね。


4月27日(水) 旧暦:三月十九日 先負 辛未 晴れ
暖かな一日。朝、ちょいとばかし寝坊する。イッテツと隅田川の方へ散歩に出る。待乳山もいつの間にか新緑におおわれていました。春ですねぇ。
お八つのお茶うけに、京土産〈松屋常盤〉の味噌松風。箱を開けると、ふわりと味噌の香り。「これが、昭和天皇も愛されたという…」とキタイ。パラフィン紙ごと取り出して、切って食べる。カステラのようでいて、しかし洋の世界ではなくまぎれもなく和の世界にある食感と風味。上品な甘さがあとを引きます。

4月26日(火) 旧暦:三月十八日 友引 庚辰 晴れ、一時雨 
朝、六時半起床。高木先生、菊池さんと散歩。里山の方へ下ってみる。立ち込める新緑の香り、道々にはまだ雪の気配なれど、田んぼでは苗代作りの準備が始まっています。一時間ほどで戻ると、「なんだか、おなかがすいてきたわねぇ」
朝食は八時半より。山菜と野菜を主とした献立は、日本の朝を食べているようで、食が進みます。この朝食を楽しみにしている方々もいらっしゃるそうですね。「あー、身体の中が洗われるようだ」と野村さん。わたくしも虎杖(いたどり)のお味噌汁をおかわりしました。
朝食後、出発前の時間を使って、峰定寺にお参りをすることにしました。受付で寺守の佐藤さんのお話を伺う。平清盛が普請頭を勤めたといわれる峰定寺は、源平合戦の被害からも逃れ、八百五十年前そのまま姿を残す京都でも唯一のお寺だとか。受付で杖を借り、山門から急峻な石段を「六根清浄、六根清浄」と唱えながら、本堂へと向かう。懸崖造りの本堂は崖から飛び出し、舞台を歩くと宙に浮いたような感じになります。しかし、舞台から見る景色の素晴らしこと。山並みが幾重にもグラデーションを描いています。「こんな京都もあるのよねぇ」と菊池さんがため息をついていました。
お参りをすませて、部屋に戻るとお天気が急変。春雷がなり響き、大粒の雨がどっと落ちてきました。雨が降ると入山はできないそうですから、運の良いことでした。常日頃の行いがついこういうところにも出てしまうようです。笑。
十一時半、雨の中、タクシーで蕗窯へ向かう。広川原能見町までは約十分。一年ぶりに、小松華功さんの元気なお顔を拝見することができました。御所の中に新築された迎賓館に収められた作品と一緒につくられた大皿は、オブジェとなって庭に置かれていました。梅が描かれた見事な渾身の大皿です。作品用に作られた特注の窯のある工房には、まだ焼かれていない皿が一枚残っていました。
母屋に上がらせていただき、抹茶をいただく。大皿の制作は小松さんが想像していた以上に困難を極めたようです。
「皿だけで百二十キロ、いろいろ合わせたら二百五十キロ。これをひっくり返すのが大変なんですわ」大仕事を終えられて、一回り大きくなられたようです。
お昼過ぎに蕗窯を辞し、鞍馬越えで京都へ。市内に入ることには雨も上がり、鴨川沿いの木々がきらきらと輝いていました。
約束があると言う野村さんと四条橋で別れ、四名は昨日振られた〈ひさご〉へ。〈鳥岩楼〉とはまた味わいの違う親子丼を食す。お店を出たところで散会。
わたくしは、川端通りで出て、ゆっくりと駅まで歩きました。夜まで過ごそうかとも思いましたが、〈喜幸〉さんは今日はお休み。四時過ぎの新幹線に乗り、七時前にキタイとイッテツの待つ我が家へ帰る。
楽しい小旅行でしたが、その間大阪の方で痛ましい電車事故が起こり、たくさん亡くなられました。心よりご冥福をお祈りします。

4月25日(月) 旧暦:三月十七日 先勝 己卯 晴れ 京都にて
十一時過ぎ、京都駅着。先に到着されていた高木先生、友人の菊池さん、尾田カメラマン、コンサルタントの野村さんと合流。八条口からMKタクシーに乗り込む。運転手は、京都にお詳しい萩本さんです。走り出すと、早速、お昼の相談。予定していた下河原通〈ひさご〉に確認したところ、あいにく月曜定休日とのこと。萩本さんお薦めの西陣〈鳥岩楼〉へ変更。
〈鳥岩楼〉は水炊きで有名なお店だそうですが、お昼の二時間だけ親子丼を振舞ってくれるのだそうです。町屋を改造したのでしょうか、中庭のある京都らしい佇まい。とろりとした卵でとじられた親子丼もなかなか濃厚なお味で、山椒の香りも効いていました。
昼食後、しばらく京都の食巡りをすることに。まずは〈茶洛〉にて『京わらびもち』、〈松屋常盤〉にて御菓子『味噌松風』、〈植村義次〉にて州浜『春日乃豆』、〈松前屋〉にて京昆布『比呂女』。「京に着いたばかりだというのに、トランクが一杯ですなぁ」と、萩本さんが笑う。
それからタクシーで嵐山に向かい、しばらく嵯峨野巡り。祇王寺を訪れる。萩本さんがガイド役を勤めてくれ、庭に咲いていた侘助(わびすけ)椿の謂れなどをお聞きする。ほんとうに博学な方です。
三時を過ぎ、〈美山荘〉に向かうことに。「今日は貸切ですさかい、周山街道を通って行くことにしましょか」北山を回り、一時間半ほどで、花脊に入りました。花脊はようやく春を迎えたばかり。桜、辛夷、石楠花、雪柳…、花々一斉に咲き、里山に美しい色を添えていました。「とってもいい季節に来たようね」先生も満足そうです。
新緑の山細道を通って〈美山荘〉に到着。女将さんと若女将さんに迎えられて、部屋へ。質素でいながら、温かみのある部屋です。柱、鴨居、壁、障子、内装のつくりに繊細な職人の技を感じます。外に向かって広々と切り取られたガラス窓の向こうに移る川景色は、絵のようであり。テラスに出れば、その中に佇むことができます。さらさらと流れる渓流の音。山の空気が身体の中にしみこんできます。「いいわねぇ」「いいですねぇ」、あけび茶を飲みながら。
微かに野草の香りがするお風呂に入り、ゆったりとしていると、「夕御飯のご用意ができました」と、仲居さんの声。部屋でいただく食前酒は、辛夷のリキュール。お酒が茶色に染まっているのは辛夷の灰汁なのだそうです。
本館の、できたばかりのコの字型のカウンターに座り、摘草料理の登場を待ちました。
以下は、味覚の記憶です。和え物や天ぷら、付け合せなど様々にかたちを変えて味覚を刺激する山菜の峻烈な香り、目の前で焼かれた若狭ぐじのお椀、物集女(もずめ)の朝どり筍の田楽、骨までとろけるように柔らかい天魚(あまご)の串焼き、鮮やかな濃緑色の蓬麩をくるむ白味噌の汁、野蒜おろしで食べる岩魚のお造り…。なるほど、野草一味にふさわしい。故中東吉次さんの魂が十分に伝わってくるような料理でした。
食後は、男性陣の部屋でしばらく談笑。花脊の夜の中、雲のようなお布団に入ったのは十二時少し前でしたでしょうか。

4月24日(日) 旧暦:三月十六日 
今日も良いお天気。隅田川への散歩の帰り、ユニフォームを着たラーメン屋さんの若旦那と会う。「ソフトボール、始まったんだ?どうだった」「負けました。打てません」「相変わらずねぇ」ああ、春は愉し。
夜、田辺大根のアチャラ漬けをいただく。大根の歯ざわりと程よい酸味と甘味があっておいしかったです。
明日は、京都。イッシーさんより以前にいただいた花脊の文章を読み返して眠る。


茅葺きの「花竹庵」の内部は、昔ながらのおくどさん、
山水を引いた走り流しなど江 戸末の民家のたたずまい。
徳力先生の画室の一部に、庵を訪れた文化人、学者、茶人、財界人たちが
記念に「左り馬」を揮毫したやきもの皿が並んでいます。
素地作りと焼成は小松さんがなさっていたようです。

このあたりの地名は花脊別所といいます。
熊笹の産地で知られ、和菓子の材料に使われます。
とくにここの笹は熱を通しても変色しない特色があるので、全国から重宝されています。たしか「麩嘉」の麩まんじゅうや、「川端道喜」のちまきなども、
花脊の笹を使っていたと思います。

色鳥や笹の干さるる花脊村   山下喜子

別所上の町には福田寺があります。曹洞宗永平寺派の寺。
花脊経塚から発掘された石卒塔があります。
また、集落の社である三輪神社の鳥居は街道に面して建ち、
社殿への参道はのどかな田んぼ道です。

私の知人が二十年ほど前、市内から居を移した折、
集落の古老にあいさつに行ったら、初めに教えられたのが、
葬式の際に履く草鞋の編み方と、座棺の作り方だったといいます。
「土葬だったのには驚いた」といっておりました。

前にもお話しましたように、まさに別所の名にふさわしい奥深い別天地であります。

花さびた花脊に濁世逃れきて   渡辺数子
花脊谷狐に憑かれゆく人も    堀口星眠

時間がございますようでしたら、
出町柳から叡山電車で新緑を楽しみながら鞍馬まで行き、
広河原行き(終点)のメロディーバスで九十九折の山道を上って花脊峠を越えて、
のんびりと行くのがおすすめですが、またの機会にと、申しあげておきましょう。

かなかなや陰陽変る峠越     桂樟渓子
雛連れて雉子歩みをり花脊越   礒江沙知子

4月23日(土) 旧暦:三月十五日 大安 丁丑 晴れ
遅咲きの桜、色とりどりの躑躅、花水木、足元にはシャガやスミレ…。寒かった冬に溜め込んでいたエネルギーが一気に弾けたように、東京中に花が咲き乱れています。
午後、イッテツと北の丸公園の近代美術館で開催中の『ゴッホ展』へ。入場券売場の前からものすごい人。でもそれだけの甲斐はありました。ゴッホは素晴らしい。わたくしは、天才を「世界のありようを、それまでとはまったく違ったものとして、見せてくれる人」というふうに勝手に解釈しているのですが、ゴッホこそはまさにその人。
『アルル近郊の花畑』『黄色い家』『夜のカフェテラス』『糸杉と星の見える道』、これらの絵の前に唖然と佇むとき、ここに描かれた世界こそがほんとうの世界の姿なのではないかしらと思えてくるのです。

4月22日(金) 旧暦:三月十四日 仏滅 丙子 晴れ
高木先生の料理教室への参加受付中ですが、お申込みいただいた方のメールより。


「栄養と料理」で高木さんのことを知りました。お正月料理の特集がとても素敵 で、そこに掲載されていた”ゆず豚”と”ゆずケーキ"を作ったところ、家族に大好評でした。
料理教室も、高木さんにお会いするのも初めてなので、応募するだけで今どきどきしていますが、簡単で美しい料理をぜひ教えて頂きたいと願っております。

先生のゆず豚、たしかにおいしいですものね。わたくしも大好きです。料理教室、まだ定員には若干余裕がありますので、この機会にいかがですか?
4月21日(木) 旧暦:三月十三日 先負 乙亥 晴れ
朝、イッシーさんが手配をしてくださった浪速漬が〈西むら〉より届く。封を開けてみると、なにわの伝統野菜がどっさり。

田辺大根 アチャラ漬
守口大根 粕漬
大阪しろな 浅漬
天王寺蕪 粕漬、浅漬
水茄子 ぬか漬
毛馬胡瓜 深漬

我が家だけではとても食べ切れそうにないので、タイちゃんに電話。山本海苔店の皆さんにも届けることにしました。
・・・・さて、夕飯時、
「どれもこれもおいしそうですが、なにからいただきましょうか」とキタイ。
「そうね、天王寺蕪の粕漬なんてどう?」
「いいですね」
「へー、葉っぱ、こんなに長いのね」
蕪の部分といっしょにとんとんとんと刻んで、早速、食卓へ。
「うん、土の栄養をたっぷりと吸収した味と香りがする。それにこの歯ごたえ、おいしいわねぇ。水茄子もいってみましょうよ」
「水茄子は二三日置いた方がよいということでしたが」
「でも、召し上がり方の紙を読むと、水茄子は漬け具合によって少しずつ味わいが違うそうよ。食べてみましょうよ」
袋を開けると、たっぷりとした糠の中から、大振りの水茄子。
「大きい。立派な茄子ねぇ」
「手で割いて食べるようですよ」
小分けにした茄子に、お醤油をおかかを振って食べる。
さくっとしていながら、じつに瑞々しい。皮ぎしの旨いこと、旨いこと。
蕪も茄子も、イッシーさんのおっしゃるとおりにとても滋味が豊か。それに、どこか懐かしい味がする。
「野菜の強さがしっかり生きていますね。最近の漬け物にありがちな喉にひっかかる感じもないですし。これはいい。ご飯がいくらでも進みますね」
今日のところは全部を味わうことはできませんでしたが、これから順次紹介していくことにします。イッシーさん、ほんとにありがとうございました。

〈浪速漬 四天王寺 西村〉のホームページ

4月20日(水) 旧暦:三月十二日 友引 
なにわ野菜のことで、イッシーさんにメールでお礼を申し上げたところ、早速、手配をしてくださったようです。ありがとうございます。


一両日に、大阪・天王寺「西むら」より、なにわ野菜の漬け物をお届けいたします。
「水茄子」は、2〜3日たってからお召し上がりください、とのこと。
本来は秋からの方が素材も増えてよろしいのですが、
今回はとりあえず通年ものにて失礼いたしておきます。
上野修三さんにお目にかかる前に、ひとまず、データの仕込みのご参考までに・・・。

どのようなお味なのでしょう。楽しみですねぇ。
4月19日(火) 旧暦:三月十一日 先勝 癸酉 曇り、夜雨
昨日いただいた、イッシーさんのお便りの続き。


美山荘へお出かけとか。
「杜若」という集落の杜若さんの本家前の池をご覧になってみてください。
ひょっとして四季咲きの杜若が見られるかも知れません。
女将の中東和子さんに伺えば、場所を教えていただけるはずです。

それと、花脊の里に入るとすぐのところに「工芸はなせ」があり、
ちょっとモダンな手仕事が並んでいます。
また「花脊そば」も同じ敷地にありますので、時間があったらどうぞ。
ここでは花脊特産の熊笹を打ち込んだそばを出しています。
さらに道路を挟んだ向かい側に「花竹庵」があります。
西本願寺十二代絵師であった故・徳力富吉郎先生の夏画室のあった民家です。
それこそ陶芸家の小松さんは、若き日、まさに、この庵で独立するまで、
亡き前妻さんと仕事をしていました。
ただ、現在は一カ月前の予約がないと庵の見学は出来なくなっておりますが、
外観だけでもご覧になってみてはいかがでしょうか。

芽吹きの季節。さぞ美しい里の景色でしょう。
花脊は離世とも、花瀬とも言われています。
京の都から離れた美しい里、とも、
渓流に飛び散る水しぶきが陽の光に輝き花が咲いたようだ、とも言われます。
「美しいにっぽんの原風景」がそこにあるのではないでしょうか・・・。

「美山荘」は、もともと平安時代の初めに建立されたとされる
名刹・大悲山峰定寺(ぶじょうじ)の宿坊でしたが、
明治時代に料理旅館となって今日に至っています。

皆さん、名物の摘み草料理をいただきにお出かけになりますが、
大半の方が峰定寺を訪ねずに帰ってしまいます。

この寺は山岳信仰の聖地です。修験道の行場となっていますが、
本堂は寺谷川の深い斜面に建っており、現存する日本最古の舞台建築といわれています。寺内には国の重要文化財に指定された宝物がいくつもあります。
また、石楠花の名所としても知られます。

私は、昭和四十年ごろ初めてこの寺をたずねました。
学生時代のことですが、当時は道路も今のように整備されていなくて、
寺までの道のりは難儀でした。
また、「美山荘」も現在の知名度を得ておりませんでした。

この宿を世間に知らしめた最初は、直木賞作家・立原正秋さんでした。
もう三十年以上も前、『週刊朝日』の記事でこの宿のもてなしのすばらしさ、
居心地の良さを紹介していました。
私は、なぜか、その記事の写真、内容を覚えております。
よほど印象的だったのかも知れません。

このころの立原さんは、京都や奈良を舞台にいくつかの作品を発表しています。
そのひとつに『春の鐘』があります。
古陶磁の美を探究する美術館長をめぐって、彼の妻、そして離婚後、
美術館に勤めるようになった女の、三人それぞれの愛を描いております。
(私は、当時この小説を読んで、その恋愛に憧れたものです)
立原はこの作品で「美山荘」を「奥山荘」という名で登場させています。

立原が初めて「美山荘」を訪ねたのが昭和三十九年の秋だったとのこと。
以来、年に1、2度は訪れて、料理やあたりの風情を楽しんでいたといいます。

その「美山荘」の今日の基礎を築いたのが三代目主人であった中東吉次・和子ご夫妻。
ただの摘み草料理を茶懐石の形式に整え、料理旅館としての名を上げていきました。
が、ここで忘れてならないのは、類いまれなるご夫妻のプロデュースを
よく手の内にして板場を守ってきた料理長の水野秀次さんと中東さんの弟で、
現在、銀閣寺道で「草喰なひがし」を開く中東久雄さんでしょう。

余談ですが、恵比寿で日本料理「立原」を営む、
立原のご令息・潮(うしお)さんも一時、
おふたりの下で料理修業をしていたことがあります。

そして、白洲正子さんが訪ねてくるのが、昭和四十四年。
当時『芸術新潮』の編集長をしていた山崎省三さんの案内によるものでした。
花脊の「松上げ」を見に来た折だったそうです。
名著『隠れ里』を執筆していた頃でした。
山崎さんは、どうやら立原さんから「美山荘」の評判を聞いていたようです。
その後、仮屋哲さんの『美味んぼ』に登場。
バブルやグルメブームに押されて、多くに知られるようになっていきました。

「美山荘」は料理もさることながら、建物の素晴らしさも見逃せません。
明治期の宿坊を増改築したものですが、
その設計と施工を請け負ったのが、数奇屋建築の名棟梁・中村外二(なかむらそとじ)さん。中村さんは「俵屋」ほか名ただたる旅館、料理屋、茶室を手がけた名工でした。
その建築の美というものも、じっくり楽しんでいただきたいものです。

昨今の婦人誌やグルメ本では、なぜか料理のことしか紹介されておりませんが、
このような峰定寺や贔屓にした文化人の言葉や、
近代数奇屋建築の粋、といったことにも目くばりをしていただきたいものです。
そこに存在するには、自然環境、歴史と相まってのことでもあります。
「食」を語るのもよいのですが、
そこにある「文化」というものも大事にして欲しいものです。

『春の鐘』は新潮文庫に入っております。
もし、ご興味がおありでしたら、上洛の車中ででもご一読を・・・

花脊で申し忘れたこともありますが、長くなりますので、本日はこれにて。

いつにもまして素敵な文章ですねぇ。花脊へ、美山荘へ、足を運んでみたくなるではありませんか。ありがとうございます。
4月18日(月) 旧暦:三月十日 赤口 壬申 晴れ
夕方、鎌倉からさいと町に帰る。イッシーさんよりメール。フィレンツェで学んでこられたレシピを週末にまとめてくださり、これから季節に添って紹介してくださるとのこと。とても楽しみです。


ところで、何日か前の日記に大阪の上野修三さんのお名前が出ていましたが、
私も長年贔屓にさせていただいている名人のお一人であります。
息子さんも独立の別店を出され、頑張っているようです。

じつは、数年前から私は「なにわ野菜」に注目をし、
その関東での認知度を高めるために勝手ながら旗振りをいたしております。
上野さんは「なにわ野菜」の保護、育成にも力を入れ、
生産者にとってはよきリーダー役をなさっております。
当然、お店でも「なにわ野菜」を使った料理を供していらっしゃいます。

「なにわ野菜」は伝統的な地場野菜でして、
東京ではまだまだ京野菜ほど知られておりません。生産量も少なく、
ましてフレッシュなものが東へ来ることはほとんど無いと言ってもよいでしょう。

「毛馬・けまきゅうり」
「服部越瓜・はっとりしろうり」
「玉造黒門越瓜・たまつくりくろもんしろうり」
「勝間南瓜・こつまなんきん」
「水茄子」
「鳥飼茄子・とりかいなす」
「田辺大根」
「守口大根」
「大阪四十日大根・大阪しじゅうにちだいこん」
「天王寺蕪・てんのうじかぶら」
「金時人参」
「石川早生・いしかわわせ(里芋の一種)」「吹田くわい」などなど・・・。

実に滋味深い味わいです。さらに素晴らしいことには、
土地に昔から伝わる種を小中学校の校庭の菜園でも育てており、
子供たちに地域の暮らしの尊さを教えていることです。
一時絶滅寸前になっていた種を復活させた大阪人の気概には、心打つものがあります。

京野菜ほど世間では人気ではありませんが、
ここにも伝統野菜本来が持つ、香りと味があります。
一代限りの種でははとうてい出せない、エネルギーと滋養を味わうことが出来ます。

私はこの「なにわ野菜」を使った漬け物を知人、
仕事でお世話になった方々に贈らせていただいており、
たいへん好評をいただいております。
京漬け物とは異なつた味わいに、ついついハマッテしまいます。
お店の女将からも「関東で知名度が上がりました。年々注文が増えて、忙しくなりました。生産者の皆さんにも顔が立ちます」とおっしゃってくださいます。

で、元子マダムにもぜひご賞味いただきたく、お送りさせていただきます。

またしても!こんなところでも石氏さんと結びついていたとは。石氏さんの交遊の幅広さにびっくりするとともに、上野さんにお会いするのがますます楽しみになってきました。
さらに、なにわ野菜を送ってくださるとのこと。遠慮なくいただいてしまいます。お礼にといってはなんですが、なにわ野菜の普及に一役買わせていただきますよ!
来週訪れる京都の花脊〈美山荘〉のことも、いろいろ書いてくださっていますが、それはまた明日。

4月17日(日) 旧暦:三月九日 大安 辛未 晴れ
麗らかな陽気に誘われて、叔母と散歩に出かける。家のある胡桃が谷から天園のハイキングコースに上がり、ゆっくりと建長寺の半増坊まで。新緑の中、時折聞こえる鶯の声。土中から顔を出しはじめた草花。木々を揺らす春風。とても気持ちのよい散歩でした。
建長寺から鎌倉駅まで戻り、市場で夕食の買出し。小町通りの古書店〈木犀堂〉に顔を出し、〈山田酒店〉で日本酒、〈ベルグフェルド〉と〈アルトシュタット〉で明日の朝食用のパンとベーコンを調達。夕食の献立は、鶏ささ身とそら豆の盛り合わせ、あいなめのから揚げ、こごみの白和え。春満喫の一日でした。

4月16日(土) 旧暦:三月八日 仏滅 庚午 晴れのち曇り
週末、鎌倉の節子叔母の家で過ごすことに。夕方、横須賀線に乗り、鎌倉駅で待ち合わせ。ホームから見た源氏山はすっかり緑色に染まっていました。
「いっらしゃい。桜も終わり、だいぶん人も少なくなったでしょう。ところで、今日の夕食、楽しみにしていてね」と、なにやら思わせぶりな叔母のあとについて、若宮大路を八幡宮の方へ歩く。萩寺として知られる宝戒寺を左に曲がって、しばらく歩いたところに、そのお店はありました。雪ノ下〈日の丸食堂〉。テーブルが二席だけの小さなお店。暖簾はあるものの、表ではなく、店内にかかっています。「へー、こんなところにお店があったんだ」「ここはね、ガイドブックなんかには絶対に載らないお店。というか、載せても意味がないんだけどね。いつも近所の常連さんだけで一杯になっちゃうから。ね、ご主人」
と叔母に声を掛けられたご主人は、築地の仲買いさんだったとか。料理好きが高じて、鎌倉にお店を出し、週末のみ開店したところ、地元人の間で大評判になり、いつも予約で一杯に。その予約さえ裁ききれなくなり、この三月からお店一本にしたそうです。
夜は、ご主人がその日の築地で目利きした素材を使った、おまかせ料理三千円のみ。ご主人の拵える料理をひたすら味わう。お造りはかどがしっかり立っていて、煮魚は甘辛の煮汁が素材の旨みを包み込む絶妙の味加減。魚と料理が好きだという一心な思いが伝わる、じつにおいしい料理でした。「ふう、これはいつも一杯のはずだ」「でしょう。日の丸食堂っていう名前がまたいいじゃないの。ねぇ」大満足の二人がお店を出たのは、十時半。浄明寺まで歩いて帰る。

4月15日(金) 旧暦:三月七日 先負 己巳 晴れ
穏やかな春の一日。桜の季節がいよいよ終わり、東京は躑躅に彩られてきました。日本橋界隈には、はや神田祭りを知らせる張り紙も。
夜、Skype(スカイプ)という無料のIP電話を使って、パリのエミちゃんと話す。エミちゃんから教わったこの電話、とっても便利です。エミちゃん、六月末にお父様の十三回忌で来日とのこと。「ついでに一ヶ月くらいいるつもりだから、東京で会おうね」

4月14日(木) 旧暦:三月六日 友引 戊辰 晴れ
三日ぶりに雨上がる。午後、庭の手入れをしているところに、植木職人の今井老人がひょういと顔を見せてくれました。お土産に持参してくださった、あめや横丁〈くりや〉の甘栗を茶うけに、縁側でしばらく談笑。「最近の甘栗は、どうも上品過ぎていかん。この店のように、手にたっぷりとべたつくようでなければ食べた気がせんよ」

4月13日(水) 旧暦:三月五日 先勝 丁卯 雨
三連雨。でも、今日はとてもとても嬉しいことがありました。イッシーさんから、久しぶりに便りが届いたのです。最後の便りは、梅のころ。はや桜の季節も過ぎようとしているのに、一体どうされたのかなぁと心配しておりましたが、イタリアに行かれていたとは!


室町元子様

ご無沙汰です。
先月から一カ月あまりフィレンツェにおりました。
旧家に嫁いだ知人を訪ねがてら、フィレンツェの家庭料理を教わっておりました。
ホテルはキッチン付きのアパートメントホテル「ピッコロ」という所でしたので、
教わったものを再度確認しながら作っては食べ、作っては食べしておりました。
いいかげんな男ひとりがホテルの部屋のキッチンに立つ姿は、
思い出すからに不気味かも知れません(笑)
このホテルはオーナーが日本人でした。
ロケーションもドゥモや中央市場に近く、なにかと便利な所でした。

83品ほど教わってきました。
日本で出版されているイタリア料理本にも出ていないものが多く、
とても勉強になりました。

きっかけは、知人夫婦がこちらに来た折、何軒ものイタリア料理屋に案内したことです。
メディアでも有名なシェフの店にも連れて行きました。
すると彼曰く「日本のイタリア料理は固すぎる」というのです。
「日本料理の影響なのか歯ざわり、食感を重視しているせいか、僕のようなイタリア人にはちょっと・・・。一度家に食べにおいでよ。」ということになりました(通訳は知人で彼の奥さん)。

それが、三年前のことでした。

イタリア人といってもさまざまですから、彼の感想だけがすべてとは思いませんが、
本場の家庭ではどうなのだろう、という興味がありました。
が、なかなか時間が作れず日々が過ぎていきましたが、
今回、ちょっとヒマが出来ましたので出かけて行ったという次第です。

彼の亡くなったおばあさんが、とても料理上手だったそうです。
その影響でお母さんも腕を上げていったとのことでした。
ところが、私の知人である彼女は日本に住んでいる時は、
まったく料理が出来ない人でして、
お母さんが「これではお嫁に出せない」とよく嘆いていました。
冗談ではなく、本気で、包丁を持ったこともなく、
台所に入ったこともないというありさまでした。

ところが、嫁に入ったらみるみるうちに料理好きになり、
ハマッテしまったといいます。今ではしょうゆやみりんを使った
彼女オリジナルのイタリア家庭料理まで作れるようになっていました。

教えてもらったものはどれもシンプルで、いい味です。
さっと出来るものからじっくり煮込むものまで、いろいろです。
「マダムがんこ」ページは「和」が守備範囲とお見受けいたしておりますが、
もし、お邪魔でなければ、あるいは、興味がおありのようでしたら、
折を見ながらいくつかのレシピをご紹介させていただいてもよいか、と。

と、なにやらもったいないようなお話なのですが、ご好意に遠慮なく甘えてしまいましょう。日本の美しい味に造詣の深いイッシーさんが、イタリアの家庭料理をどのように料理して、ご紹介くださるのか。とても楽しみです。
4月12日(火) 旧暦:三月四日 赤口 丙寅 雨
今日も、冷たい雨。高木先生のお宅で、料理の撮影。空豆がピュレ、海老との葛煮、新じゃがとのフィットチーネに、鰹はアボガドとの青葉和えになり、わたくしたちのお腹においしくおさまり、いつものように庭の見えるテーブルで雑談。テーブルからは、満開の枝垂桜が雨に濡れていました。
「きれいな枝垂桜ですねぇ」というと、先生は「あの枝垂は、京都の円山公園のものなのよ」と、少し目を細めて、こんな話をしてくれました。

先生がまだ子供だった時分、京都へ家族旅行に出かけたことがあったそうです。
お父上もお母上もまだ若く、先生も姉と一緒にはしゃいでいました。
ただ、どういうわけか、お医者さんも一緒だったのが、子供心に不思議だったそうです。
京都巡りの途中で立ち寄った円山公園では、有名な枝垂桜の苗を売っていました。
その苗木を、お父上はお母上と二人の娘のために、三本買い求めました。
お母様が癌であることを知らされたのは、
帰宅し、三本の苗木を庭に植えてしばらくしてからのことでした。
時過ぎ、高木家の人となった先生が、ある俳句会でこの事を話したら、
一人の俳人が句を詠んでくれたのだそうです。

庭桜には 母のこと 姉のこと

三本のうち二本は、移したりなどして枯れてしまったそうですが、一本の桜木はいまも美しく咲いています。毎年、その枝垂桜が咲くと、先生はこの俳句とともに、お母上との最後の京都旅行を想い出すのだそうです。

4月11日(月) 旧暦:三月三日 大安 乙丑 雨
しとしと雨が降る、花冷えの一日。イッテツと、神保町へ。何軒かの古書店を回り、『見捨てがたきもの』(文化出版局)、『職人往来』(雄山閣)を買う。一冊目は魯山人の星岡茶寮の支配人を勤めていた秦秀雄氏の昭和四十六年の作。身近の雑器、という副題が付いている簡素な装丁に惹かれるものがありました。二冊目は江戸のさまざまな職人たちを写真で紹介しています。
帰り、〈まつや〉であんかけ。ふう、あたたまる。 エリコさんよりモスクワ便り ⇒ 「くしん簿記」へ

4月10日(日) 旧暦:三月二日 仏滅 甲子 晴れ、のち曇り
東京は、名残の桜吹雪。イッテツと長い散歩に出る。小石川の後楽園で枝垂桜、牛神社の会談を登り、伝通院、そのまま善光寺坂を降りて、本郷へ。そのまま暗闇坂から不忍池へ。街々はどこも桜を惜しむ人たちで一杯でした。
夕方から、桜の終わりを告げるかのような雨。

4月9日(土) 旧暦:三月一日 先負 癸亥 晴れ
週末は、叔母のいる鎌倉で過ごす予定でしたが、「よした方がいいわ。桜をより、人を見に来るようなものだから」と、急遽取り止めることになりました。桜の満開の週末が重なってものすごい人手のようです。
有田昭峯窯の岩永さんよりお便り。

佐野(実)さんの件やっと報告します。
3月18日、佐野さんは函館から飛行機を乗り継いで、夕方有田に来られました。
19〜21日が『九州有田とんこつらぁ麺』の本番で、
準備は18日〈支那そばや〉の店長1人と応援で
〈大砲ラーメン〉の精鋭の店長が3人で
スープとチャーシューの仕込みをしていました。
佐野さんはまずスープの味見、
さすがテレビのときのような鋭い目つきで味の調整を指示していました。
打ち合わせが終わったら早速「焼酎タイム」。
今回はずーっと機嫌がよく、
「よか、よか」と変なイントネーションで焼酎を水割りで必ず梅干を入れて飲みます。
僕は18・19日と「佐野番」で不足の事態のときに、
体を張って佐野さんを止める役と佐野さん夫婦の使い走りでしたが、
特に事件もなく使い走りと焼酎の相手ですみました。
以上、まずは1回目の報告です。
次は「幻のチャーシュー事件」ということが起きまして、
窯元の間でトラブルまでは行かないものの食い物の恨みは怖いぞ・・・・。
では、近いうちに2回目を報告します。

幻のチャーシュー事件?なんでしょう。

4月8日(金) 旧暦:二月三十日 先勝 壬戌 晴れ
今日は、花まつり。仏さまのお誕生日です。
朝、ちょいと用事があって山本海苔店に行ったら、徳治郎社長とばったり。「いやー、がんこさん、よいところに来てくれました。おもしろいものをつくったんですが、ちょいと食べてみてくれませんか」と、新商品の和風シリアルをプレゼントしてくれました。
たっぷり岩海苔にドライな野菜と果物が入ったところに、牛乳を注いでいただく。岩海苔に牛乳?と最初は抵抗がありましたが、食べてみると、あら。あら、あら。不思議なおいしさです。きちんと素材の味も生きています。健康はもちろん、いま注目のアンチエイジング(抗加齢)も意識されているのかな?興味のある方は、十九日まで玉川高島屋の地下特設売り場で販売しているそうなので、どうぞ。

4月7日(木) 旧暦:二月廿九日 赤口 辛酉 晴れ
昨日に引き続き、暖かなお天気。我が家の一本桜も満開になりました。夜、キタイの拵えてくれた小膳で、花見酒。

4月6日(水) 旧暦:二月廿八日 大安 庚申 晴れ
春全開の、ぽかぽか陽気。九段の桜が九分咲きとなり、満開宣言。「さてと、どこへ行きましょう」とイッテツ。「そりゃあやっぱり、隅田でしょう。お花見弁当でも拵えましょう」とキタイ。心も漫ろに、向島の桜橋あたり。木陰を探して、川面を眺めれば、都鳥もうれしそう。東京に、ようやく春がやってきました。

エリコさんから、メール。無事、モスクワ着とのこと。よかった。でも、あちらはまだ少し寒そうです⇒ 『くいしん簿日記』へ

4月5日(火) 旧暦:二月廿七日 仏滅 己未 晴れ
本日、清明(二十四節気の位置、天地万物の気が満ち、清く明らかになる)。
高木先生宅で、次回の料理の打ち合わせ。五月の季題、空豆はパスタと葛煮。六月の鰹は、アボガドとあわせた青葉和え。春を飛び越し、初夏の気分を味わう。試食後、〈村上開新堂〉のクッキーをいただきながら談笑。ひょんなことから京都の話となり、今月の終わりに花背の〈美山荘〉を訪れることになりました。摘み草料理で知られる〈美山荘〉は、昨年取材をさせていただいた〈なかひがし〉のご主人中東久雄さんのご実家です。桜には間に合いそうにありませんが、京の春香をたっぷりと呼吸してきましょう。また、「京都、京都ってみんな言うけど、大阪の食だって面白いんだよ」という尾田学カメラマンより、〈喜川〉の元ご主人上野修三さんを紹介していただくことになりました。

4月4日(月) 旧暦:二月廿六日 先負 戊午 晴れ
石垣島とも、今日でお別れ。チェックアウトして、お昼を〈キミ〉食堂でとる。石垣島では知らない人がいないほど有名なこのお店の名物は、キミおばあちゃんがこしらえる味噌そば。『涙そうそう』のBIGINの皆さんが高校時代の常連だったそうで、いまも島にいるときはよく訪れるそうです。ゴルフの宮里三兄弟の写真も微笑ましく貼ってありました。時間をかけて取った豚の出汁と、自家製味噌との絶妙な配合、コッテリした味を新鮮な野菜がまろやかにしています。「なんともいえないわよねー、このお味」と叔母。沖縄には、ほんとうに、なんともいえないもので満ちています。お勘定のときに、口直しの黒砂糖をいただく。タッパーの中から黒砂糖を出しながら「これから長旅でしょう、黒砂糖はからだにいいから」と、どこまでもやさしいキミおばあちゃんでした。
夕方、羽田着。「寒い!」叔母がくしゃみをふたつ。キタイに電話をして、叔母と二人で、タクシーでさいと町の家へ帰る。

4月3日(日) 旧暦:二月廿五日 友引 丁巳 晴れ 石垣島にて
竹富島に渡る。船が出るまで少し時間があったので、離党桟橋のそばの食堂で、ジーマーミ豆腐を食べる。落花生の味がして、びよびよんと延びる不思議な食感のお豆腐でした。NPOが運営しているという竹富島は、琉球時代の街並みと自然とが溶け合ったとても美しい島でした。民宿でレンタサイクルを借りて、コンドイビーチへ。海を眺めながら、人懐こい猫をからかって過ごす。叔母と二人、どちらからともなく「いいところねぇ」という呟き。
五時ごろに宿へ帰り、夕食はレストランですます。七時過ぎ、オレンジ色のお日様が最後の輝きを見せたあとに、ようやく夜が訪れる。

4月2日(土) 旧暦:二月廿四日 先勝 丙辰 曇り 石垣島にて
朝、羽田を出て、石垣に到着したのはお昼少し前。空港を出たとたんにすっかり花粉症から開放された節子叔母は、「ほらね、来たかいがあったでしょう」と笑う。
レンタカーを借りて、宿泊先の〈フサキリゾート〉へ。途中、〈おいしん坊〉という食堂で八重山そばを食べる。コテージ風の部屋にチェックインし、夕方まで海岸で過ごす。風が少し肌寒いものの、いい気持ち。
夜、叔母がたっぷり食べたいということで、美崎町の〈焼肉やまもと〉へ。石垣牛を、七輪の炭火で堪能する。柔らかくて、きちんと草の香りがするおいしいお肉でした。天井が高くてゆったりとしたお店の雰囲気も接客もとてもよく、ホウシャオシェンの映画に出てくるようなお店でした。花粉から逃れ、久しぶりにお腹一杯食べた叔母、すやすやと子供のように眠る。

4月1日(金) 旧暦:二月廿三日 赤口 乙卯 曇り、時折晴れ
鎌倉の節子叔母から電話。桜の話題でも、と思っていから「花粉がひどくて、もうだめ。南に逃亡することにしたわ。あなたも付き合ってくれる?」「叔母さん、エイプリルフールだからって、それはないんじゃない」「残念でした。ほんとうです」というわけで、桜の開花を前にして、わたくしは明日から石垣島に行くことに相成りました。


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