にんべんの門松
火事と喧嘩は江戸の華。江戸っ子が開き直って言うくらいに、江戸の町には火事が多かった。市中の過半を焼き尽くす大火だけを数えても、明暦三年(1657)の有名な振袖火事を筆頭に十回はある。
こうした江戸にあって、日本橋のかつお節問屋〈にんべん(当時は伊勢屋)〉は不思議と火事に縁がなかった。大店が五十年も火事に会わなければ御の字といわれた時代に、かれこれ百五十年、火元になるどころか、被害を蒙ったこともない。「こいつぁ、伊勢屋にはなにか火事に会わない幸運があるにちがいない」と、口さがない江戸っ子の間でささやかれた。で、目をつけたのが、師走になると店の前に置かれる門松。誰が始めたのか、火除けのお守りとしてむしり取っていく輩が出たからたまらない。我も我もと広がり、江戸も仕舞いの頃になると、あっという間にぼろぼろになったそうである。
しかし、〈にんべん〉が火事に見舞われなかったのは決して運ばかりではなかった。そのあたりの経緯が、〈にんべん〉の八代目高津伊兵衛を描いた荒俣宏著『男に生まれて』(朝日新聞社)に書かれている。引用してみよう。

まず、当主は店の者よりも早く起きて、防火の備えを見て回らなければならない。土塀で取り巻いた敷地を一周する。・・・・・(略)・・・・・
次に、母屋や店の庇。ここに火の粉を受けるようなものがないかどうか。
そのあとも、気は許せない。穴蔵の上にしっかりと砂蓋が降りているかどうか。薪、水、築山の備えは十分か。・・・・・(略)・・・・・
いつも用意しておく火事非難の品物に、なにか不足はないか。・・・・・(略)・・・・・
それから、いちばんに店へ出てくる番頭を呼びつけて、
「火事が出たら、うちの者を他処へ見舞いに行かせてはいけない。火元をたしかめるのに人を散らしてもいけない。人を一ヶ所に集めず、それぞれ定められた持ち場へ行かせるように」
と訓示する。
火事があろうとなかろうと、毎日、この用心を実行する。三代目店主だった高津伊兵衛が遺言として子孫に残した、店を守る心得だった。

残された記録によると、主人は火事予防の日課のためになんと四半刻(一刻は二時間)もの時間をかけたという。〈にんべん〉が火事と縁がなかったのは、代々の店主が火の用心に全身全霊を傾けていたからなのである。