| 我輩、個人(個犬?)的に割烹着姿の女性が好きである。割烹着をふんわかと着たお母さんが台所に立っているだけで、なんとも美味しい料理ができそうではないか。ところで、この割烹着、そもそもの始まりはどこか。調べていくと、なんと日本橋に辿り着いたのであった。赤堀栄養専門学校などを経営する赤堀学園の創始者 峯吉。峯翁は18歳で郷里から江戸にわたり、料亭で修業を積んだ料理人であったが、明治15年(1882年)、自らの経験をもとに女性に学びの場を提供したいと思い、日本橋三越の近くに割烹教場を開設した。当時の日本橋周辺は交通の便が良く、商家も多く、また魚河岸が近いこともあって新鮮な食材も手に入りやすかったのである。日本初の割烹教場の噂は、向上心に満ちた商家のご夫人やお嬢さんたちのハートをとらえ口コミで広まっていった。しかし、教場に通学してくる当時の女性たちはなにしろ皆和服である。袖のある和服は料理に適していない。そこで、赤堀教場では和服を着た腕と身体をすっぽりと包む独特の料理着が考案され、着用されるようになっていた。袖を気にすることなく、汚れまで防いでくれるこの料理着が、割烹着と呼ばれるようになり、全国の津々浦々の家庭に広まっていったのである。今や和服と家庭料理の衰退とともに、割烹着を着ているお母さんもめっきりと少なくなってしまった。これでよいのか?我輩は割烹着復活を切に訴えたいのだ。 |