栗が基準
最近では、めっきり見かけることがなくなったが、以前は焼き芋屋の看板に、「八里半」とか「十三里」などと書かれたものだ。いずれも薩摩芋の別称なのであるが、なぜこう呼ぶかというと、栗(九里)と比べてのこと。つまり、九里の旨さに近いから「八里半」、九里四里うまいから「十三里」というわけだ。薩摩芋は十七世紀前半に我が国に伝来したとされている新しい食物であるから、栗がそれまでのおいしさの基準であったことがわかる。
平安時代の中期に書かれたとされている『宇津保物語(うつぼものがたり)の中で、京の貴族の母子が山中で生活する場面が出てくるが、そのときの糧として、椎(しい)、一位(いちい)、芋、野老(ところ)、葛の根などとともに栗が出てくる。当時から庶民の生活にとって重要な食べ物だったことがわかる。
歳時記によると、栗がいちばん出回る頃の旧暦九月十三夜(10月20日前後)の月を、「栗名月(くりなづき)」と呼ぶ。