五つの名前を持つお菓子
暑さ寒さも彼岸までなどというが、春秋二回のお彼岸が近づくと、和菓子屋の軒先からは小豆を煮るよい匂いがいつにもまして漂ってくる。お彼岸は、また〈おはぎ〉の季節なのである。
この時期におはぎを食べるようになったのは、江戸時代から。そもそも材料となる小豆の赤色には、古くから災難や邪気を払う食べ物としての信仰があり、先祖の供養と結びついていったというのが一般的な説である。
最初は供物だったものが、やがては菓子として食されるようになり、江戸も終わりの頃になると、庶民の間で自家製おはぎを贈り合う風習が大流行。松坂屋おてつ、という人などは小豆・黄粉・胡麻による三色牡丹餅を売り出し、当時の江戸名物にもなっている。
さて、我輩は〈おはぎ〉と書き、いまでは季節を問わずこの言い方が定着しているのであるが、ご承知のとおり本来は春と秋では呼び方が異なる。春は小豆の粒を牡丹に見立てて〈牡丹餅(ぼたもち)〉。秋は萩に見立て〈お萩〉。では、おはぎがこれ以外にも様々な名称をもって呼ばれていたことはご存知だろうか。
おはぎの製法は炊いたご飯をつぶしてこしらえるため、餅のように搗(つ)かない。このことにひっかけて付けられた名称が、〈夜舟=いつ着くとも知れない〉と〈北の窓=月が見えない〉。前の二つと合わせ、季節によって使い分けていたようだ。

春・・・牡丹餅
夏・・・夜舟
秋・・・お萩
冬・・・北の窓

ほかにも「搗かない」ということをずばり表現した、〈隣り知らず〉という呼び方もあった。搗く音が、近所に聞こえない。なるほど、うめーや。
お菓子ひとつに四つも五つも名前をつけるなんぞは、いかにも洒落好きな江戸っ子らしい。またその付け方が、なんとも粋ではないか。
売れなくなった飲料水を、名前だけ変えて“新発売”するのとはわけが違うのである。