美しい味を語る


第一回目のお相手 料理研究家・俳人/高木泉さん

その本を見つけたのは、散歩の途中で立ち寄ったいつもの書店でした。白い表紙に赤い文字で印刷された『美しい日本の、美味しいごはん』 タイトルだけでなく、料理の写真に添えられた文章がとても美しい、と私には思えました。その本の著者が今回のゲスト、高木泉さんです。高木さんは料理教室を主宰する料理研究家であり、また近代俳句の礎を築いた高浜虚子のお孫さんである高木森ニ氏を夫にもつ俳人でもあります。そんな高木さんと日本の美しい味についてぜひお話したいと思い、三月のある日、川崎市の郊外にあるお宅へおじゃましました。高木さんの仕事場でもあるキッチンのテーブルに座り、午後の時間を一緒に過ごさせていただいたのですが、気がつけば外は夕暮れ。料理の楽しさを教えてくれたおばあ様やお母様のこと、俳句と料理、旬の大切さ、これからの世代に伝えていきたいこと・・・。高木さんのお話は、その日降っていた春を告げる雨のように私の胸に染みました。

俳句から生まれた本。

Ganko: 私が高木さんにお会いしたいと思ったのは、最近出版された『美しい日本の、美味しいごはん』という著書に心を動かされたからなのですが、この本はどういう経緯で生まれたのでしょうか。
高 木: 高浜虚子の次女で星野立子という伯母さまがいるのですが、彼女が残した句の中に「美しき緑走れり夏料理」という私が大好きな句があるんですよ。立子伯母さまがどういう場面でこの 句を詠んだのかはわかりませんが、句から想像すると初鰹かなにかの上にたっぷりと青葱などがかかっているのを目にしたのかもしれませんね。それで思わず美しいと。この気持ち、とてもよくわかるんです。旬のものって美しい、ほんとに美しいです よね。そんな日本の四季折々が持つ美しさを俳句の季語と料理で表現できないかしらと思ったのです。
Ganko: 本の中では一年十二ヶ月それぞれの月に俳句の季語があり、料理のモチーフになっていますね。例えば、卯月(四月)は、朧(おぼろ)、麗(うらら)か、長閑(のどか)、日永(ひなが)、桜鯛(さくらだい)。言葉だけを見ても美しいですし、いかにも四月という気がして楽しいですね。日永なんて言う言葉、私は知りませんでした。
高 木: 私の料理教室も、同じなんですよ。レシピを考えるときは、まず歳時記の季題の中からいちばんの旬のものを取り上げて、そこからメニューを考えます。例えば二月は紅梅をテーマにしましたが、紅梅という季題からイメージがふくらんでくる。俳句でも料理でも歳時記というのは私にとってはとても大事なもので、いつも見ています。歳時記ですべてが決まると言ってもいいかもしれませんね。

旬に始まり、旬に帰る。

Ganko: 俳句は、高木さんの料理にどのような影響を与えたのでしょう。
高 木: 俳句から受けた影響はとても大きいと思います。旬の話でいうと、俳句には「名残」というものがありますが、これは料理のときにも使います。名残の胡瓜とか、名残の茄子とか、秋の頃のお野菜をそんなふうに呼んだりする。ちょっと曲がっていたり、いびつだったり、でも旨みがぎゅっと凝縮されている。落鮎などもそう。六月の若鮎ではなくて、十月頃産卵のために川を下る鮎。いわゆる走りの旬じゃなく、名残の旬。ものの哀れというか情が移って、食べるのではなくて、食べさせていただくという感じになるのです。そんなふうに思えるのは旬を越えた俳句の心からきていると思います。
Ganko: 本の中には、料理好きだったおばあ様やお母様のこと、お姑の高木晴子(高浜虚子の四女)さんの影響も書かれていますね。
高 木: 三人とも、旬というものをとても大切にした人でした。祖母が野から野蒜(のびる)を採ってきてチャチャッと刻んでおみそ汁に入れるだけですごくいい香りがしたものですし、これは本にも書いたのですが、うちの庭にある梅は祖母の口癖で六月二十日を過ぎるまでは採ってはいけませんでした。梅の実は五月下旬頃から店先に出回りますが、我慢して我慢してほかがもう出払った頃まで十分熟させてから採る。でもそのおかげでわが家は毎年とっても美味しい梅干を食べることができたのです。
Ganko: 寒卵(かんたまご)の話もすごく好きです。
高 木: 寒卵と言うのは寒の入りの一月六日前後から節分までの寒中に生まれた卵のことです。睦月(一月)の季語ですが、寒卵として特別に売られているわけではありません。あくまで自分で感じることなんですね。夫の母は、みそ汁に落としただけの卵でも「これは寒卵ですから、美味しいですよ」と言って食卓に出してくれたものです。
Ganko: それだけでありふれた卵が、何か特別なものに変わるような気がしますね。
高 木: そうなんですね。私は今回の本を出してから、旬がいかに大事かということを改めてひしひしと感じています。懐石料理などにしても確かに器も大事ですが、やはり旬なんですよ。旬の食材を最低限の調味料で料理していただくと言うのがいちばん美味しい。今の季節は葉っぱ類がたくさん出てきていますが、昆布と鰹節でとったお出汁に小松菜と油揚げをいれて薄口醤油だけでいただいてごらんなさい。こんなに美味しいものはないというくらい美味しいですよ。筍なども、うちでは本当に新鮮な筍は糠のあく抜きもなにもなしに、すぐに生醤油に漬けてすぐにご飯に炊き込んでしまうか、そのまま炭火で焼いて食べてしまいます。その方が美味しいですし、やっぱり綺麗でしょう。旬を味わうって、そういうことだと思うのね。その「一瞬の旨み」を生徒さんたちに教えたくて、私は料理教室をやっているといってもいいくらい。

マヨネーズと日本人の食

Ganko: ここ数十年、日本人の食を取り巻く環境は大きく変わってきています。高木さんは、その変わりようをどう感じていらっしゃるのでしょう。
高 木: 私が若い人と接する唯一の場所は、美容院なんですね。働いている女の子や男の子たちは、夜が遅いこともあるんでしょうけど、もうほとんどコンビニね。それで、みんなマヨネーズが大好き。お刺身までマヨネーズとか。そんな食生活をしながら「なかなか風邪が治らなくて」なんて言っている。心配ですし、とても危機感を感じますね。
Ganko: なにかアドバイスはされるのですか?みんな高木さんが料理の先生だってこと知っているんでしょう?
高 木: ええ。みんなメモ帳持って集まってきちゃいますよ(笑)。でもコンビニのお弁当は食べてはいけませんよ、とはさすがに言えませんからね(笑)。たまにはうどんを買ってきてこういうふうに食べなさいとか、同じお弁当なら旬のものが入ったものにした方がいいわよとか、もしもおかずを買うんだったら、お豆の煮たのとか、椎茸の煮たのとか、乾物類にすれば栄養が凝縮されているから身体にいいわよとか、サラダは海草が入ったものにした方がいいわよとか、一生懸命教えます。私にできるのはそれくらいですからね。

五十代後半にして思うことあり。

Ganko: 高木さんが料理を教えるようになって何年ですか。
高 木: 料理教室を本格的に始めたのが三十五歳のときですから、かれこれ二十年以上になりますね。
Ganko: その頃と今とで変わったことはありますか。
高 木: すごく変わったと思いますよ。三十代は勢いでやっていた。四十代で生徒さんたちがついてきてくれるようになると、これでいいのかなと、ちょっと輝かしい気持ちになったりした頃もありました。でも五十代になりそれも後半になってくると、こんなんじゃいけない、これじゃだめなんだ、基本に戻らなきゃいけないんだと思うようになった。少し話は変わりますが、今年から月に一度京都のある料理人の方のところに日本料理を習いに通っています。京都という所はとっても面白いところで、「私の店は戦後ずっと続けてやっています」というのが誇りなんですね。その戦争と言うのが・・・
Ganko: 太平洋戦争ではなくて、応仁の乱(笑)
高 木: そうそう、創業安政何年とか。でもね、素晴らしいと思うの。ずっと続けてお麩をつくって、お漬物をつくって、しかも昔の方式変えずに誇りを持って続けているのってすごいことですし、そういうものにとても魅力を感じます。重い、と思う。なんでも いいから真面目に取り組む、するとそこから何か生まれる。人に対しても物事に対しても真面目にあたろう。それが楽しいし、深いんだ。そういうことに少しずつ気付いてきましたね。そして、それを伝えなきゃいけないんだと強く思うようになってきています。

日本の食を次代に伝えたい。

Ganko: 料理にかかわる一人の人間として、後の世代にこれだけは伝えておきたいということがあれば、ぜひお聞きしておきたいのですが。
高 木: この頃は美味しいものが何でもスーパーで手に入るようになりましたが、逆に買う人がいないと生産農家がつくらなくなってしまうという現状もあります。例えば、慈姑(くわい)という野菜がありますよね。そのまま調理をしても美味しいですし、ミキサーにかけてみそ汁にしてもいいですし、スープにもなる。じくのところもしゃきしゃきしていてとても美味しい。それがもうなかなか手に入らない。慈姑だけじゃないんですよ。ほんとうに身近なものでも売れないとつくらなくなってしまうらしいのです。路地栽培のほうれん草を減反にしてしまうとか。
Ganko: え、ほうれん草をですか!
高 木: そうよ。春菊も最近は売れないらしいですね。レタスとかそういうものばっかりになってしまって。私が言いたいのは、春菊とレタスは違うものでしょう!ということ。おねぎもみんな太いものなってしまって。昔は種類がたくさんありました。九条ねぎ、あさつき、わけぎなんていうのはもうほんとになくなっちゃいましたね。わけぎの中にある白い滑りなんてとっても美味しいに・・・。大根も青首だけになって三浦がなくなってしまうとか。煮物にしたとき青首と三浦では全然違うのに。そういうことがすごく残念なのね。だから食べて欲しいのし、買って欲しいの。買わないと農家の人たちがつくらなくなるから。つくらないと商品価値が上がってしまい、それだけ値段が高くなってしまい、ますます手に入れにくくなってしまう。こういうことを言い続けるのが私の役目だと思っているの。
Ganko: 野菜の種類の豊富さは、日本より海外に行くとよくわかりますよね。
高 木: そうね。以前、ドバイという中近東の国に行っていたことがあるのですが、市場に行くと、南瓜だとか、冬瓜だとかたくさんある。日本の市場はそれに比較してどんどん種類が少なくなっています。
Ganko: 経済効率という名の元に、日本の伝統的な食材そのものが途絶えてしまうのは、とても寂しいですし、おそろしいことですね。
高 木: そう、食材そのものがなければ、美味しい味もなにもあったもんじゃありませんからね。農家の中には、昔からの田畑を潰してアパートかなにかにしている人たちもいます。それは農家が悪いんじゃなくて、そうしないと生きてゆかれないから。でもに、日本という国はフランスと同じで農産国でしょ。アパート経営の国じゃないのよ。

▲TOPへ