| Ganko: |
高畠さんは昨年(平成十四年)までここ円覚寺佛日庵のご住職をされていたわけですが、その傍らで、傍らといっては大変失礼かもしれませんが、精進料理の本をお出しになられたり、一般の方に教えられたりもされています。どのようなきっかけで料理の道に入られるようになったのですか? |
| 高 畠: |
ご質問にお答えする前に、禅寺の修行がどのようなものかご存知かな? |
| Ganko: |
あまり詳しくは。座禅を組むとか・・・、そういうことですか。 |
| 高 畠: |
禅宗の修行僧を雲水といいますが、雲水の修行は座禅だけではありません。畑仕事から托鉢をはじめとして、全部が修行。その中に食事をつくるということも自然と入ってくる。食事係を典座(てんぞ)と言いまして、修行道場では非常に高く評価されています。雲水が修行する上でその命を保つための原動力になるわけですから、大変なことなんですね。 |
| Ganko: |
ということは、雲水は皆さん精進料理をつくられるわけですね。たまたま出会うわけではないんですね。 |
| 高 畠: |
そうです。ただ、わたしの場合は修行道場に入って一年ほどしてから、御老師の食事の支度をさせていただいたことが大きな経験になりました。 |
| Ganko: |
修行道場は、たしか京都の南禅寺でしたね。 |
| 高 畠: |
そうです。雲水の食事ならお粥と梅干しという具合ですから、大きな鍋釜で一度につくればすみますが、御老師の食事は雲水と同じというわけにはいきません。精進料理もある程度、本格的なものをつくることになります。いずれにせよ、わたしにとっての料理とはこうした修行の中で自然に身に付いていったものです。なぜ、どこで、どうして料理の道に入ったかなんていう世間的なそういう頭先で考えたものではないってことですね。 |
| Ganko: |
修行に入るまで、料理をされた経験はおありだったのでしょうか。 |
| 高 畠: |
お粥さえまともにつくったことはありませんでした。 |
| Ganko: |
いきなり食事をつくりなさいと言われて不安になりませんでしたか。 |
| 高 畠: |
ですから、それは一般に考える頭先でしょう。やりもしないで、頭で考える。そんなことをしていたら、はっ倒されますよ。まずやってみろ。やらないで文句を言うな。禅寺の修行というのはすべて実践。実際にやってみることによって、知識を智慧に変えていくところなのです。 |
| Ganko: |
俗な質問ですが、失敗なんてこともあったのでしょうね。 |
| 高 畠: |
そりゃ、ありました。典座にきたばかりの頃、生麩(なまふ)をつくり損ねたことがあった。生麩というのは小麦の強力粉を水で溶いて練っていくわけですが、練る時間と寝かせる時間が短かったために固まらずに流れ出しちゃった。捨てようとした瞬間、どなられた。「なんで捨てるんじゃい、生き物を!それも生き物じゃ!」こうしたふうに一つ一つの修業をさしてくれるわけです。その時はクソと思うけれども、あとで考えるとああ良かった殺さずにすんだなと。そこで、いかす心、そういうものを得る。 |
| Ganko: |
そうやって何度も失敗を繰り返されて。 |
| 高 畠: |
何度も何度も失敗したら、どやされますよ。一回失敗したらそれを糧にして、今度はちゃんとしたものをつくれ。それしかない。だからやり直しはさせてもらえない。「明日があるさ」なんてのんきなことは言っていられない。 |