美しい味を語る


第四回目のお相手 作詞家/阿木燿子さん

阿木燿子さん読売新聞の「お品書き」という連載を毎週楽しみにしています。著名人と食べ物の関係を紐解いていくこの企画に、作詞家の阿木燿子さんが登場されていたのはまだ夏の名残が残っている九月のことでした。阿木さんが料理をお好きだということになぜだかちょっと驚いて読み始めたのですが、そこに書かれていた煮豆の話がとても素敵で面白く、読み終えたときには絶対お会いしなくっちゃと勝手に決めていました。「煮豆は心に余裕がないとできないこと。豆が煮える匂いをかぐと幸せを感じる。豆を煮ることは私にとって一家団欒の象徴なのです」それは私が考えている美しい日本の台所風景そのもののような気がしたからです。勝手なお申し出を快く引き受けてくださったご本人とマネージャーの橋爪さん、本当にありがとうございます。対談当日、赤坂の一ツ木通りにある事務所でお会いした阿木さんは、ちょうど初めての料理の本『ほっぺたぽろりんレシピ』を出されたばかりで、まだ少し料理の余熱が残っているようでした。阿木さん独特のあのふんわかとした雰囲気を文章で表現するのはとても難しいので、 ←こちらの阿木さんの写真を眺めながら読んでいただけるといいかもしれません。きっと皆さんの気持ちもほころんで、料理をしたくなってきますよ。

頭の中にレシピが落っこちてくる。

Ganko: 早速ですが『ほっぺたぽろりんレシピ』、拝見させていただきました。こう言っては失礼かもしれませんが、とてもかわいらしい本ですね。
家の光協会刊 1,400円(税抜)
阿 木: 嬉しいです。どうもありがとうございます。
Ganko: 前からお料理の本をつくってみたいという気持ちはあったのですか。
阿 木: 何度かお話をいただいたんですが、わたしのつくるものは家庭料理だし、別にちゃんと勉強したわけでもないし、ちょっと気後れしていたんです。今回はたまたまグッドタイミングなお話をいただいて。
Ganko: グッドタイミングというのは?
阿 木: わたしは野菜が大好きなんですが、野菜中心のお料理で構いませんよということだったので、それならやってみようかなって。
Ganko: それで野菜を使ったお料理が多いんですね。本の中で紹介されている料理はふだんお家でこしらえている料理なんですか。それとも本のために新しく考えたものなんでしょうか。
阿 木: つくり下ろし、というんでしょうか。新しく考えたメニューが多いんですよ。というか日々の食事がそうなんです。あまり同じ料理をつくったことがなくて。その時々、冷蔵庫を開けた瞬間に料理を決めるみたいなところがあるんですね。残っている野菜があると、これとこれとこれと組み合わせて何がつくれるかな・・・、毎日毎日、創作料理をつくっている感じかしら。この本の中にも写真取りの前日にスーパーに行ってひらめいたものですとか、撮影をしている合い間に、これはどうかなとか思ってつくったものがあります。結構それがヒットだったりして(笑)。
Ganko: たとえば?
阿 木: 表紙でも使っている〈鳥の巣ごもりサラダ〉なんていうのは、撮影の前の日にスーパーに行って野菜売り場でプチトマトを見たときにひらめいたんです。そうだ、丸いものだけ集めてサラダをつくったら楽しいだろうなって。銀杏、グリンピース、葡萄、マッシュルーム、うずらの卵、グリンピース、甘栗、まあるいものだけでできているサラダ。ね、かわいいでしょ。
Ganko: ほんとに鳥の巣みたいですね。食べられる鳥の巣。おもしろくておいしそう。世の中に料理の本はたくさんありますが、阿木さんらしさってなんだろうって質問しようと思っていたんですよ。ひらめきというのは、阿木さんらしいですね。どんなふうにひらめくんですか?
阿 木: うまく説明できないんですけど、頭の中に落っこちてくる感じかしら。
Ganko: え?
阿 木: イメージとしては、レシピが頭の中に落っこちてくるの。だからわたしはお料理はいくらでも考えられると思ってます。たとえば、ページの最初のオードブルは野菜を立たせてみたいと思ったの。立つ野菜だけの前菜をつくってみようって。野菜がみんな寝ている必要はないなと思って。
Ganko: 〈スタンディングオベーションの前菜〉ですね。
阿 木: そう。野菜がみんな立ってるの。思いの外、立つとかわいいんですよ。ほかにもトマトに下着をはかせてみたいなとか、ブロッコリーを見てクリスマスツリーをつくりたいとか、野菜を三つ編みにしてみたいなとか、大根おろしをシャーベットにしたらどうだろうとか、秋刀魚の開きをパンにはさんだらおいしそうとか。友人に言わせると、秋刀魚の開きをパンにはさむなんて、ふつうあんまり発想しないわよって。
Ganko: しません、しません。ちょっとびっくりしてしまいましたが、そうするとこれは阿木さんの頭に落ちてきたレシピをたくさんかたちにできた本なんですね。出来には満足しています?
阿 木: ちょっとだけ不安なのは調味料の分量。つくるのは私一人で、そばでマネージャーがアシストしながら分量を書き留めてくれていたんですけど、メモを取ってもらう前に、もう(調味料を)入れてるの。お砂糖とかお塩とか無意識のうちに入れている。計量カップで計る習慣がないから、ターッて入れて、あとから何杯でしたか?って聞かれて、何杯だったかしらって。だからレシピ通りに作ったとして、おいしいかどうか、多少は不安なんです。自分の勘でやっちゃうでしょう。手が先に動いちゃう。今回はきちんと計らなきゃいけないんだと分かっていても、
Ganko: もう動いている(笑)。
阿 木: そう。これはやっぱり永年の習慣ですね。アレヨアレヨという間にすべては出来上がっていました。でも料理というのはもちろんおいしくなきゃいけないんですけど、こうでなきゃいけない、レシピはどうのという話ではなくて、絵を描くように、子供が粘土細工するようにつくる。つくることを楽しむっていうことがすごく大切なんだと思うんですね。

料理に魔法をかける。

Ganko: 阿木さんがお料理を好きになったのは、やはり料理上手だったお母様の影響が強いのでしょうか。
阿 木: そうですね。小さなときから台所で母の手伝いをしていました。でも包丁は使わせてもらえなくて、早く大人になって使ってみたいなあって。だから包丁とミシンを自由に使わせてもらえたときは嬉しかったですね。本を見ながら料理をするとすごく時間かかるように、ある程度大人になってから料理を始めると、料理をすること自体大変なことのように思いがちですよね。その点、わたしはラッキーでした。何よりも私自身が料理好きだったことが大きいかもしれません。
Ganko: 読売新聞で煮豆の話を読ませていただいて、お母様から教わった昔ながらのお料理をきちんと守っている方なのかなと思っていたので、先ほどのレシピの話はちょっと意外でした。
阿 木: 基本は、ね。レンコンは酢でさらしてとか、里芋のぬめりをとるにはどうすればいいかとか、そういうことは門前の小僧で、基本的な知識は、一応クリアしているかなと思っています。でもそれだけで一生終わるのもつまらない。家庭料理からは始まったとしてもお袋の味的なものだけじゃなくて、そこに自分らしさを付け加えていきたという感じでしょうか。
Ganko: 料理には時間をかけるほうですか?
阿 木: 手は早い方です。それもかなり。この本でも撮影の最終日は17品をつくったんですけど、5時間くらいで済ませて、その後、撮影スタッフ7人分の食事を用意してお出ししたほどです。
Ganko: すごいスピード。
阿 木: 料理を作ってる最中、そのときだけは頭がコンピュータになっている。手順だけはいいと自負してます。わたしの感じでは逆算するといいみたい。まず器から決めるみたいな。逆算、逆算で、頭の中で組み立てたフィルムを巻き戻す。やっぱり何かを好きでいると、そこでいろいろ工夫するし、手順も良く、すっきりする。スパゲッティを茹でた後であわてて笊なんか探していてはだめですよ(笑)。
Ganko: 食材にこだわったりはされるのですか?
阿 木: 有機野菜じゃないとだめとか、何々産の肉でないと作れないとか、材料にこだわる人は結構いますけど、わたしは材料にはこだわらないの。基本的にはどこのスーパーでも売っている食材でつくれるものです。で、材料にこだわらない代わりに、料理に魔法をかける。
Ganko: 魔法?
阿 木: それはつくり手の愛情であったり、技術だったり、ちょっとした工夫だったりすると思うんですけど、いい食材を使ったって魔法をかけられない人は画一的な味にしかならないでしょ。食べていくうちに、なんか幸せな味だなこれって、にこにこって笑い出すような料理が好きなのね。たとえば「なにこれ、よくこんなバカなこと考えたわね。野菜を三つ編みにしようなんてふつう、思わないわよ」なんて言われながら、「えー、意外においしいじゃない」そんなふうにだんだん魔法が効いてきて、楽しくなる料理を作りたいなって。

料理のことを考えているときがいちばん楽しい。

Ganko: 『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』で作詞家デビューされて、山口百恵さんを手がけられてものすごくお忙しい時期もあったと思うのですが、そのときも料理はつくられていたんですか。
阿 木: 忙しければ忙しいほど料理は息抜きになるし、寝る時間を削ってでも料理をしていたいほうだから。ほんとにね、苦じゃないんです。楽しいだけなんです。趣味というのとも違う。ああなんて楽しいだろう、なんて嬉しいんだろう、という感じですね。お料理にかける時間は全然惜しくないの。キッチンに立っているときは、なんて幸せなんだろうって思う。だからどんな時よりも熱中度は高いですね。
Ganko: 仕事より(笑)。
阿 木: そう、仕事で机の前に座っているより、全然幸せですね。身近な人はすぐわかるみたいで、視線がふっと遠くへ飛んで、笑っているときは、料理のことを考えているときだって。そう、レシピ考えているとき。
Ganko: 料理と言葉を生み出していくということは関係ありますか?
阿 木: あると思います。作詩って、無尽蔵の世界からある形をつくらなきゃいけないでしょう。言葉って無限の組み合わせをもっていて、コンピュータがどんなに発達しても“てにをは”を変えるだけで意味が違ってくる。そういう無限の世界の中から言葉をチョイスしていく。料理も同じだと思うんです。食材の無限の組み合わせ、そこにお砂糖を入れるだけ、塩を一つまみ入れるだけで、変わってくるし、同じ料理というのは二度とつくれないだろうし、同じ材料を与えられても100人いたら100人とも味が違う。お豆だってどこどこ産って、同じものを同じスーパーで買っても微妙に違うし、それぞれ個性が出るし、こんなに創造性を刺激される作業はありませんよね。
Ganko: 料理こそクリエイティブ。
阿 木: 失礼な言い方かもしれませんけれど、料理が苦手な人はパン焼いてもおいしく焼けない、ほうれん草を茹でてもまずい。要はタイミングかな。ベーコンエッグをつくる前にパンを焼いて置いといたら、食べる時は冷たくなっている。ほうれん草は茹ですぎたらまずいし。ほんとにそういうことがものづくりの中にはあるし、素材の組み合わせ方、盛り付け、味付け、そのときの体調、もろもろ全部を反映して一品が出来上がってくるから、料理と会話している感じでしょうか。「今日、私は調子いいみたい」とか、「大根さん、ありがとう」とか、すごく近しい友のような関係。だから、雑念を払えて集中できるすごくいい時間かな。だからお料理をしているときに話しかけられるのはすごい嫌。主人にさえ応待が突っけんどんになったりして。
Ganko: そうなんですか。ご主人でも。
阿 木: そうなの。頭の中の回路が料理モードに入った瞬間からそれだけに集中したいから。そういうことが可能な作業だと思う。雑念が浮かんでこない。仕事をしてたって、あれどうしよう、これどうしようって、いろいろ関係のないことが浮かぶでしょう。それがね、料理に関してだけはすっと消える。なかなかそう集中できるものって少ないから、それがたまたま料理だったから、すごくラッキーだったなと思います。

お嫁に行くなら料理をしましょう。

Ganko: ずっとお話をお伺いしてきて、阿木さんにとっての料理は楽しいことが基本なんだなってことがよくわかりました。
阿 木: ほんとにそうですね。料理をしなくちゃとか、がんばらなくちゃとか、お弁当をつくらなくちゃとか、日々、負担になることもあると思うけれど、やっぱり女の子は料理がつくれた方がいいし、まわりの人を幸せにしてあげられるし、料理って、生きていく中で気持ちが豊かになるひとつのポイントかなと思うんです。だって、一日どれくらい料理に時間をさきますか?365日の中でどれだけ家族と一緒にご飯をたべますか?今はデパートの地下に行けばなんでも揃うけど、何かが絶対違う。家庭のものは手作りの魔法の分だけ絶対においしい!でもどうなのかな、買ってきた方がおいしいこともあるのかしら・・・。まあ、ご主人にしてみればつくってくれない方がいいことがあったりして・・・。難しいのかな。お料理という言葉が、お料理を苦痛にしているかもしれませんね。
Ganko: そこなんですよね。いまは料理をしないでも生きられる世の中ですから、女性も家でだんだんと料理をつくらなくてもすむようになって、そうすると阿木さんのように娘さんも手伝う機会がなくなる。料理の楽しさを継承する機会がどんどん減っていきますよね。
阿 木: そうですね。家庭の基本に、食卓ってあると思うんです。そして、そこに並べるものをつくる、それを共同作業するっていうことには大きな意義がある気がします。ただお腹が一杯になればいいわけではなくて、栄養が足りているかとか、栄養にも心の栄養があるわけですよね。親の愛とか、家族の一員としての自覚とか。そういうものを料理という手段は伝えられると思うのですが、そのチャンスを自らの手で奪ってしまうのは残念ですよね。おかずを買ってきてお皿に移すだけ、「はいどうぞ」「おかあさん今日はご馳走だね」って喜んで食べているシーンがあるとしたら、ちょっと悲しい。
Ganko: どうしたらいいんでしょうね。なんだかすがるようですが。
阿 木: うーん、そうですね。忙しくて料理をしている時間がなかったら、ワンポイント足すだけでも違いますよね。サラダを買ってきたらレタスをちぎって入れる、レトルトのものでも、お湯で温めないで封を切ってお鍋に移して、白ワインを入れて煮直すとか、玉葱をスライスしたものを入れるとか、それだけでも全然違う。
Ganko: そうでしょうね。
阿 木: やっぱり“気”だと思うんですね。生きている気っていうものを、その人の手からしか入らない命を足すっていうのとが、すごく大切だと思います。市販のドレッシングにカボスやレモンを絞るだけでも違う。そんななんでもないことをちょっと手間を惜しまずやると全然違ってくる。そういうことじゃないかしら。で、なるたけ電子レンジを使わない。コトコト煮る。簡単なことでも手間をかけることで喜びにつながっていく・・・。手を抜くときにはぼんと抜いて、時間があるときには時間かける。いちばんいけないのはお刺身を買ってきてそのまんま置くこと。せめてお皿に移して、せめてそこに新鮮な大葉を一枚加えて、そういう気持ちが大切かなって。そうじゃないと人生に対して失礼な気がするんです。日常の中で手間をかける瞬間が創作なんだし、人生は創作の日々だと思うので。なんて偉そうですね・・・。
Ganko: いえ、とてもいいヒントになります。
阿 木: あとはやっぱり食べ手が励ますことかしら。ありがとうとか、おいしかったよとか、今度こんなのどう?とか、たまには一緒に食べに行こうよとか。食べることは基本的に命の糧だし、生きていることを実感できる幸せな瞬間だし、食べることに興味がないから文句も言わないけどというよりも、文句も言うけど食べるのが大好きでおいしいものを食べたときに幸せだねって言い合える人の方が、わたしは好きですね。なにを食べても感動のない人と一緒に居たいとは思わない。
Ganko: そうそう。まずいもん食べたらまずい、おいしいもの食べたらおいしいって言わない人と食事をするとすごく味気ないですもんね。何か言ってよーって(笑)。きっと頭のいたい男性がたくさんいることでしょう。どうもありがとうございました。阿木さんはこれからも料理とずっと付き合っていかれるのでしょうね。
阿 木: ええ、もちろん料理は一生の友。わたしのパートナーですから。

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