美しい味を語る


第五回目のお相手 株式会社鎌倉ケーブルコミュニケーションズ会長 元松竹映画プロデューサー/山内静夫さん

山内静夫さん日本が生んだ不世出の映画監督、小津安二郎の生誕百年・没後四十年にあたる今年(平成十五年)、東京をはじめニューヨーク、ベルリンなど世界中の都市で回顧上映やイベントが催されました。この記念すべき年の最後に、公私を通して親しくお付き合いされていた山内静夫さんにご登場願えたことは大きな喜びでした。もちろんお話は食べ物のことで終わるはずもなく、小津監督の映画づくりや人となりまで広がっていきました。山内さんからお聞きした小津監督を巡る様々なお話は、一見モザイクのようでありながら、ひとつの色調で貫かれていることがわかると思います。そのことを山内さんは近著『松竹大船撮影所覚ぇ書 小津安二郎監督との日々』の中でこんなふうに書いています。「小津先生という方は、決めたことは、ご自身がいやにならない限り、続ける人である。映画の中身も、使う俳優さんもそうだし、身に付けるもの、食べものしかり、つまりこうと思った道は、ひたすら歩きつづける、そういう意志の固さが、先生の生涯を貫いていたように思う」スピードが命とばかりに目まぐるしく物事が移り変わっていく世の中にあって、小津映画がますますその輝きを増しているのは、一人の映画作家が心血を注いだ本物の命がそこに息づいているからではないでしょうか。

鰻は鰻屋、とんかつはとんかつ屋。

Ganko: 小津監督に関する本はそれこそ山のように出版されているわけですが、食を切り口にしたものも結構あるんですね。
山 内: ありますねぇ。最近はいろんなものが書かれていますからね。食べ物の話などにしても、読んでみると「小津がうまいと言っていた〈蓬莱屋〉に行ってみた。ああこれがあのとんかつか」っていうだけの話だろ(笑)。それが堂々と一冊の本になっちゃうんだもんなぁ。まったく度胸がいいというか、感心しますよ。
Ganko: でも、つい読んでみたくなるんですよね。
山 内: 私も小津とついていれば買っちゃうけどね(笑)
Ganko: 私が好きなのは山内さんも書かれていますが、大晦日の夜にいつもの仲間と連れ立って南千住の〈尾花〉に出かけて行って鰻を食べる話です。年越しはふつう蕎麦なのに。
山 内: 幸せを願うなら細くて長いよりは、太くて長い方がいいっていうんでね。あれは私も非常に印象が強いですよ。そう、鰻はお好きでしたね。
Ganko: 好物は鰻ととんかつ、やはりこのあたりだったのですか。
山 内: まあね、どじょう屋なんかもよく行きましたよね。小津先生の場合、どうしても専門店がいいっておっしゃるんですね。ハイカラな料理だって嫌いじゃありませんでしたが、好んで行こうっていう感じはなかったですね。そりゃいい料亭に行けば鰻もうまいもん食わせてくれるけれど、やっぱり鰻を食うなら鰻屋、とんかつ食うならとんかつ屋。味はもちろんだけれども、そういうふうな店がひとつのものを守り通しているのが大事なんだっていうのが、先生の考え方でしたね。一筋の人がつくりだすものというのは信頼できる。そういうふうに出来上がったものは、俺は信用するということでしょう。
Ganko: 小津監督の有名な言葉に、豆腐屋は豆腐しかつくらないというのがありますね。
山 内: 単品できちんとものをつくっている職人さんたちの芸。それが己の芸にも通じるとお感じになられていたんじゃないでしょうか。俺も映画という道の中で俺一筋の、誰の真似でもない、誰にも真似してもらいたくない、俺の映画というものをこつこつとつくりあげているんだ。小津先生の人生観と自負から出た言葉でしょうね。
Ganko: 監督は東京の深川の生まれでいらっしゃいますけれど、そういう下町気質といいますか、幼い頃に過ごされた環境が影響を与えたということもあるのでしょうね。
山 内: いま私がお話したようなことがそのまま下町気質なんじゃないの?子供の時分から一所懸命鰻を裂いて、一人前になっていく。そういう苦労が年輪として滲み出ているような人間、黙々とそれだけをやっていくというふうな生き様というのは、ある意味下町の気骨というようなものと共通するでしょうね。

師、動物性たんぱくを好む。

Ganko: いわゆる食通というような書き方をされていることもあります。
山 内: いや、食通っていうような感じの人とは違いますよ。ただ、うまいものが好き!そういう人です。気取っているのは嫌いですね。懐石風のものとか、器がきれいだとか、ちょこっとしかのっていない。こんなケチくさいのはいやだ。うまいもんもっとたくさん食わせろってね(笑)
Ganko: 小津監督は体も大柄ですし、やはり大食漢だったのでしょうか。
山 内: 実際に見ていますとね、どんな料理もそれほどたくさんは召し上がらないんですよ。
Ganko: そうなんですか。
山 内: やっぱり主力は飲む方にいってしまいますからね。大勢でわいわい食べているのを見ながら、人をからかったり、馬鹿話しながら飲んでいるのが、至福のときというような顔をしておられますね。
Ganko: 楽しそうですね。
山 内: そうだね。どかっと構えて、腕まくりされて。汗をかきながらね。飲んでますよ。飲みますからねぇ、なかなか。
Ganko: やっぱり相当お飲みになるんですか。
山 内: 飲みますよー。私も相当飲むと思うけれどかなわない。
Ganko: 負けますか。
山 内: 負けますねぇ。
Ganko: やはり好みは日本酒ですか。
山 内: 日本酒ですね。
Ganko: お好きな銘柄などありました。
山 内: 家でお飲みになるときは菊正宗だったでしょうかね。でも、何でもお飲みになりますよ。銘柄にこだわってこれしか飲まないよっていうようなそういう通とは違いますから。それは気取ってるでしょ。俺はこれしか飲まねぇとか、そういうタイプじゃないんです。うまけりゃいいってね。うまけりゃ(笑)
Ganko: 理屈なんか関係ないと。
山 内: ちょっと余談になるけれど、当時は冷酒というのはあんまり飲まなかったですよ。吟醸の酒はまだなかったからね。醸造酒ばっかりですから。醸造ってのはお燗して飲む酒。それと比べたらいまの吟醸ってはスイートな感じになっちゃってね、なんだかぶどう酒みたいでしょう。若い男の人とか女の人とかはいいんだろうけど、やっぱりお酒とはちょいと違うんだな。だから私なんかでもお酒といえばいまだに燗ですね。
Ganko: 日本酒を召し上がる時に必ず召し上がるおつまみのようなものはありました?
山 内: そうだねぇ、海栗(うに)が割合にお好きでしたでしょうか。あとは海鼠腸(このわた)ね。そういったのは日本酒のつまみとして定番でしたね。ちょいちょいとつまみながら。お刺身みたいなものはあまり食べなかったですね。嫌いではなかったですが。どちらかと言えば、やっぱり動物性たんぱくの方がお好きでしたね。
Ganko: お野菜などは。
山 内: 野菜はほとんど嫌いといってもいいんじゃないの。お浸しとか、煮付けみたいなものもあんまり食べないでしょうね。生野菜なんか絶対食べない。サラダも大嫌いでしたね。農家の方にはわるいけど、先生に言わせたら生野菜なんていうのは鶏がついばむものっていうくらいしか思っていらっしゃらないからね(笑)
Ganko: まあ、ひどい。そういえば、スイカもお嫌いだったとか。
山 内: スイカなんぞは猿の食うもんだって言うんですよ。また佐田啓二がスイカが好きでねぇ。おまえはなんでこんなもの食うんだって、よくからかっていましたよ。
Ganko: ご飯とお味噌汁は?
山 内: 朝は、食べておられましたよ。海苔とお新香、そういうものはお好きでしょう。それからね、お茶漬けするのに鮭の燻製を薄く切って炙ってね、少しぱりぱりになったところをご飯に乗せて食べるのはひどくお好きなようでした。
Ganko: 炙るっていうところがいいですね。すごくおいしそう。
山 内: そうかね。私も炙るよ。炙るとうまいもんだよ。ちょっとぱりっとしてね。油がじいっと滲んできてね。
Ganko: お豆腐は。
山 内: お豆腐はお好きでしたね。とくに冷奴。まあ、淡白なものはどちらかというとお好きでしたね。
Ganko: それで鰻とか動物性も好きなんですね。
山 内: そう。よくわからないな、こりゃ(笑)

小津名物、カレーすき焼き

Ganko: 小津監督は、ご自分で料理をこしらえることはあったんですか。
山 内: まあ、あんまりないでしょうね。それこそ、例のカレーすき焼きくらいかな。知ってるでしょ?
Ganko: やっぱり食べさせられました?
山 内: うまいだろう、うまいだろうって、押し売りしますからね。先生が生きていた頃、蓼科に無藝荘という山荘を借りていたんですよ。藝が無いと書いて無藝荘、ご自分が付けた名前ですけどね。居間に小囲炉裏が切ってありましてね、そこでよくカレーすき焼き鍋が行われました。
Ganko: 行なわれたんですね(笑)
山 内: とにかくなんでも大ぶりがお好きでしたからね。肉なんかでも、やたらたくさん買って、ざっと入れちゃうんですよ。先生のすき焼きはいわゆる関東流で、肉を先に焼いといて割り下を入れる。それで肉があんまり焼けないうち、ミディアムレアぐらいで食べるわけです。で、ちょいと箸をつけたらすぐまた大量に入れる。鍋の中、もう肉だらけだよ。葱とか、白滝とか、お豆腐とか、少しは入れるけれども、あんまり興味がないんですね。
Ganko: 興味はほとんど肉に行ってしまっているですね。
山 内: もう、べったり肉なんだ。だから最後はどうしても肉が残っちゃうじゃない。もう佃煮の如くになっているわけだ。
Ganko: 煮え繰り返っている。
山 内: そう、それで最後の仕上げっていうときにカレーが入ってくる。「これがまたうまいんだ」ってね。
Ganko: お腹が一杯のところにどさっと。
山 内: 「食え」と(笑)。まあ、先生にとって食べるということは、会話なり、コミュニケーションを楽しむっていうことなんですよね。そういうことの方が喜びだったんじゃないでしょうか。

小津映画の基本は、気配り、心遣い

Ganko: 小津監督はいまや神格化されている部分があると思うのですが、公私にわたって親しくされていらした山内さんから見て、どんなところが魅力的だったのでしょうか。やっぱりすごく魅力的な方だったんでしょうね。
山 内: 素敵でしたねぇ。
Ganko: なにか小津監督を象徴するような出来事があれば・・・。
山 内: 『秋刀魚の味』という作品がありますね。
Ganko: 遺作ですね。
山 内: 当時映画の題名というのはわりあい早く決めていたんですが、このときはなかなか決まらなくてね。先生はちょうど宝塚で『小早川家の秋』を撮っていたんだけれど、松竹としては早くのろしをあげたい気持ちがあって撮影場所の宝塚まで陣中見舞いと称して行ったわけです。行ったのはいいんだが、先方にしてもあいつらほんとうは何しにきたか、読んでいるんだよ。陣中見舞いなんぞと称しているけど、じつは松竹の回しもんが来やがったんだってちゃんとわかっているわけだ。そういう雰囲気の中で「次回作の題名はできていますか」なんていう、そんな野暮ったいことは言いにくいもんなんだよ。
Ganko: 結局、聞けなかったんですね。
山 内: そうなんだ。聞けず仕舞いでしょんぼりとして帰る途中、特急電車の車中に先生から電報が入ってきましてね。「次回作、『秋刀魚の味』でどうだ」って。
Ganko: いい話ですねー。
山 内: 遥か西の方に向かって、頭を下げましたよ。「あいつら、やっぱりお土産持って帰らないと可愛そうだ」ってちゃんと思ってくれているんですよ。人の気持ちがわかるというか、そういうところが監督としていろんな人から慕われるところじゃないですか。小津映画の基本はなにかっていうと、そういった心配り、気遣い。どんな細かいところにも気を配って傷のないように、可能な限り完璧なものをつくり上げていく。スタッフもその気持ちに沿って諸準備を進めていくわけです。そういうことの総合力が、映画の力になっていくと思うんですよ。その監督に対する信頼感があって、大袈裟な言葉で言えば、小津先生の作品のためなら死に物狂いでやれるっていうスタッフがいるかいないかが、映画の内容というものを左右すると思いますね。小津監督にはそういうふうにさせる人間的な魅力があって、小津という人格がそのまま映画の中に生きている。それが作品の格調というものであり品性というものになっているんじゃないかという気がしますね。
Ganko: とてもよくわかります。
山 内: 私は小津先生に対してあまり怖いと思ったことはないですよ。ただ何もおっしゃらないけど、こっちに具合がわるいなと思っていることがあるときがいちばん怖いんですよ。こうしておけばよかったのに、ちょっとそれをずるけるとかね。電話一本かけとけばよかったのにとか、あるじゃないですか。「おい、山公。あれどうした」「忘れてました」「あ、そうか」って言いますけど、そういうことがいちばん気に入らないんですね。
Ganko: 心配り、気遣いができない人間と思われる。
山 内: やっぱりものの見方が違うという気がしますね。ものを見る勘所っていうのかな。ただぼやーっと見ていない。私も父親(作家の里見氏)からちょっしゅう言われましたよ。「ちょっとしたことでもよく気がつかれますね、なんて言うけれど、そうじゃないんだよ。そんなものは見ていればすぐわかる。キミらはものを見るときにただぼやっと見ているからなんにもわからないんだ」と。例えば、お客さんと一緒に何か食べているとしますね。お客さんがお醤油を取りたいと思っている。でもお醤油は離れたところにあって声を掛けないといけない。誰か取ってくれたらいいのに…と思っているときに、さっと取ってあげる。こういうことはあたりまえのことだけれど、ぼんやりしていたら気が付かないよと。
Ganko: 身につまされます。
山 内: だから同じ呼吸している人間でもいろいろあるってことだよね(笑)
Ganko: そういう小さな心配り、気遣いができる人たちの集まりが、いわゆる小津組と呼ばれる人たちだったということなのでしょうね。
山 内: みんな特別な人たちじゃないですよ。ほかの映画もつくりますしね。でもやっぱり小津作品は特別だっていう思いがあるんだよ。そりゃね、時々、無茶おっしゃることあるんですよ。機嫌が悪いときとかね。一度こういうことがありましたよ。『彼岸花』かな。箱根にロケーション行かなくちゃいけないことがあったんです。予報を聞いたりして、「今日はかならずこれから天気よくなる。出発!」ってスタッフ集めて、監督に連絡をとったんです。「なんだい、こんな天気でできるわけねーじゃねーか」 確かにこっちの空はまだ曇っている。「今日は予報では良くなります」「予報なんてわからねぇ」「でも、出発ですから何時に迎えに行きます」で、迎えに行ったんですが途中でぶつくさぶつくさおっしゃっているんですよ。
Ganko: (笑)
山 内: おまえらほんとにアホだ。今日なんか行ってもできるわけないだろう。無駄な金ばっかり使いやがって。こんなことしてるから松竹はだめなんだ、とかね。
Ganko: 八つ当たりもいいところ。
山 内: そうなんだ。けど、そういうときは黙っているよりしょうがない。聞いてないような顔して(笑)。そいで箱根に着いたら、ぱーっといい天気なっちゃったんだよ。それが癪なんですよ。「お、いい天気になって良かった」とは絶対言わないんだ。「お、やるのか」やるのかって言われたって、やるに決まってるじゃない(笑)。でもそんなこと言えませんから、「先生お願いします」って。ああいう完全主義者の人ですから自分の思うとおりにならないとね、どうもご機嫌がわるい。自分がこう思ったのに、そうじゃなく世の中が動いているとだめなんです。夕方になって酒が入るまで、知らん顔してるよりしょうがない。まあ、そういうことも人間だからありますけど、非常に少ないほうでしょうね。

新しいものとは、変わらないもの、古くならないもの。

Ganko: 小津監督がいま生きていらしたら、どんな映画をつくられていたでしょうね。
山 内: いわゆる小津調と言われている戦後の清澄な流れ、その線上を歩かれたんじゃないでしょうか。極端に言えば、まったくストーリーなどない随筆のような映画ができないかというふうにおっしゃっていたことがありますよ。男と女が出会って、女が男にふられて自殺しちゃったとか、そういうストーリーはいらなくて、ただなんとなく男と女がいて、さりげないやりとりが重なっていくうちに心理的にいろんな動きがあって、愛し合ったものが自然と離れていくというような、そんな随筆風の映画ができないだろうかと。
Ganko: 見たかったですねぇ。
山 内: それは理想だがね、とも言っておられましたけどね。そりゃ、映画だからストーリーはいるんだろうけどストーリーを面白く書けといわれたら、映画監督は小説家の足元にも及ばないよ。やはり映画が映像という力を持って、文芸より優れた芸術的な世界につくりあげていくためには、人間の表情とか感情の中身、そういうことを追求していかないといけない。小津監督は若いときから文芸・小説というものが持つ世界に対する憧れみたいなものを非常に強く持っていた方でしたからね。鎌倉に越して来られてそういう方々とのふれあいを通して、小説家や画家のように映画作家も自らその立場を高めたいと考え、その道を追い求めていかれたんじゃないでしょうか。
Ganko: それが六十歳という若さで亡くなられてしまった。
山 内: 亡くなられた年のことはよく覚えていますよ。一月から二月にかけて蓼科に行っておられたのですが、同時期にNHKの『青春放課後』というテレビドラマを里見と合作で進めていたのです。その仕事をするために帰ってこられて自宅でNHKのディレクターと打ち合わせをして、私の父とも打ち合わせをして、最後の仕上げのところは自宅で珍しく徹夜していましたよ。それを終えてから蓼科に戻られたのが二月。三月に首にしこりができてどうもおかしいと。四月に病院に行かれてガンと診断され、亡くなられたのが十二月ですからね。あっという間でした。やはり少し深酒がたたったんじゃないでしょうか。煙草も吸われていましたしね。
Ganko: ・・・・・
山 内: でもね。私は思うんだけど小津先生はいいときに逝ったかもしれませんねぇ。亡くなられたのが昭和三十八年。四十年から映画はもうだめですからね。いちばんいい時代の中で、松竹という恵まれた環境の中で、ある程度自分が思いどおりにつくりたいものを一生懸命心血を注いで、あれだけの作品を残されたわけですから。
Ganko: 今年は生誕百年ということもあり小津映画祭が世界中で行われています。山内さんもニューヨークに行かれたとお聞きしていますが、いかがでしたか。
山 内: オープニングと翌日の二日間おりましたが、すごい人と熱気でしたよ。皆さん『東京物語』だけでなく、すべての作品に対して非常に興味を持ってくれてね。やっぱり先生が追求してこられたテーマは世界共通なんでしょうね。日本的だからわかりにくいだろうというふうに思っていた人の方が、認識が浅かったんじゃないでしょうか。日本的というのはスタイルの上だけのことであって、小津先生が何を語ろうとしているのかということを考えればわかることなんです。ヨーロッパだろうがアメリカだろうが、どこの家庭にだってあるような身近なテーマを取り上げていて、それを非常にわかりやすく、素直なかたちで見せていて、なおかつ面白いというのが小津映画のすごいところだと思いますよ。
Ganko: 世の中が小津的なものをもとめている気がしますね。
山 内: 先生が遺してくれた映画にもっと目が向いて、こういう世界もあるんだってことを知ってくれたら世の中も良い方に変わっていく可能性がありますよ。
Ganko: 今日はありがとうございました。書物では知ることのできない話をたくさんお聞きすることができました。
山 内: 先生と会ったことがある人も年々少なくなってしまって・・・。でもまだあいつが生きているから、あいつに聞いてやろうというのも、それはそれで空恐ろしいけどね(笑)

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